
魚河岸の由来書『日本橋魚市場沿革紀要』
さて、徳川家康生涯の危機「伊賀越え」に最後まで同行し、
船で伊勢から岡崎まで家康を運んだのが、茶屋四郎次郎(ちゃや しろうじろう)配下である
堺の森孫右衛門(もり まごえもん)およびその一族でありますな。
孫右衛門ら一族は 家康公のご西遊 必ず魚を献上し 海路案内つとめまして
かの大坂の陣にては 海上偵察ぬかりなく 家康公腹心として大なる働き見せました
さても彼らは一介の漁師 なにゆえかように重用されたでありましょう
摂津国(せっつのくに)の漁師団 しかして彼らの実体は
瀬戸内海を股にかけ 暴れまわるは海賊の 一大勢力旗頭
群雄割拠の戦国時代 漁師といえども自らを 守るための武装船
貿易商人繋がりつけて 情報収集お手のもの
大名・武将の片腕として その働きは 大なるものでありました
まあこのような海賊とのつながりは、
徳川の歴史書にも魚河岸の由来書にも一切ふれられてはおりません。
家康が神格化されていく上で、あまり好ましくない話でもあったのでございましょう。
森一族は、家康と時を同じくして江戸へ入り、
表向きは漁業を業(なりわい)としながら、江戸湊一帯の警護にあたりました。
その際、かれらには「江戸の海、河川ならどこでも一切の漁業をみとめる」
という破格の特権が与えられ、
その見返りとして幕府への御肴納入が義務づけられたのでございます。
そして、後年になって余った魚を市販することの許しを得て、
日本橋小田原河岸を拝領し売買を始めた――
これすなわち、魚河岸の始まりにございます。