築地魚河岸昔がたり(16) 大岡越前魚河岸裁き(後編)

「近年、本船町地引河岸麻店前にて、明六つ迄という約束で魚市場仲買が魚売買を始めたが、時間を過ぎても売買を続け、のみならず往来へ荷を出張って道を塞ぎ、耳障りな大声で叫ぶ、暴れるなど不届きな行状、さらに今回の刃傷沙汰に対する訴えにつき吟味いたす」
大岡越前守はぎろりと仲買人らを睨みつけると、厳しい口調で言いました。
「平生より魚河岸はおびただしく混み合っていて公道をふさぎ、その上、売人らの風俗がきわめて悪く乱暴の多いことは奉行も聞き及んでいる。かねがね戒めようと考えていたところである。そこで仲買人どもに申し付ける。魚河岸での商売は古来の定法どおり道へ出張らぬこと、麻店前で営業している者はただちに場所を明渡すこととせよ」
これで困ったのは営業停止を食らった仲買とかれらをかかえる問屋たちです。さっそく会所に集まって協議の上で、
一、 夜明け前に限って営業すること
一、 往来には出張らないこと
一、 武家方がご通行の折には無礼をしない
一、 喧嘩口論は禁物とし、もしも口論が起こったときは仲間一同で立会いすぐに静めて町内の迷惑にならないようにする
一、 ごみは往来へ掃き捨てず掃除を怠らない、
以上事柄を問屋、仲買、小売の者ども協議の上違反させない、万一みだらなことあれば、いずれへ訴えられても異議はない、という魚問屋連判状を作成して家主へ差し入れました。
魚問屋側よりわび証文が出されたことで、今回に限り麻店前の営業を再開してもよろしいということになりました。
結局はこのお裁き、麻店側が一方的に勝訴したかに見えますが、実のところ、かれらは魚河岸からある種の店賃のようなものを受け取っていたことは間違いなく、それは店前の占拠であるとか、早朝から客寄せの大声による安眠妨害といったことに対する迷惑料といったものでしょうが、いくらかでも貰っているから妥協しないわけにはまいりません。
奉行もそれを知っていて、一時的に営業禁止措置をとることで魚市場の秩序を回復しようという、いわばひと芝居打って魚問屋らを威嚇したというのが本当のところでしょう。
人情味ある「大岡裁き」によって、麻店と魚河岸の長年の対立を丸くおさめたともいえます。
この争いを契機として、仲買の営業権がクローズアップされることになり、「板船権」というものが出てきます。これは仲買人にとっては魚を売るための板船を軒先に広げるための権利であり、麻店にすればその場所代を得る権利です。「板船権」の確定で仲買人の権利も明確化するわけで、それまでの問屋の従属から独立して、問屋業務と仲買業務の分業化がはじまることになります。
ところで、これより二百年以上も後のことになりますが、魚河岸が日本橋から築地へ移転するにあたり、この「板船権」の補償をめぐって、魚河岸側が代議士に賄賂を贈ったことが発覚したことによる、いわゆる「板船権疑獄」が起こります。これは世の中がひっくり返るほどの大騒動になるのですが、その根源をたどれば、享保時代の「大岡裁き」に行きつくわけで、ささいな口論が、世の中をひっくり返す大事件にまで至るという、講談の「大岡政談」でも語られなかった逸話がそこにはあります。