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築地魚河岸昔がたり(29)富士を三井の大かがり

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  魚河岸が三井呉服店にあてた起証文
 
 
文久3年(1863)11月23日、
駿河町は三井呉服店、現在の三越デパートより出火、
折からの西風にあおられまして、五千坪を焼きつくす大火災となりました。
これによって魚河岸もまた全焼の憂き目に遭うのでございます。
 
この火事、昼餉の支度をしておりました
同店のカマドより出火したものといわれますが、
その頃世間を騒がせておりました攘夷浪士による放火ではないかと噂されました。
 
 “糸会所取立所、三井八郎右衛門、糸類高騰之罪不届也
  若是正無クバ 天火ヲ以テ焼立申ス可ク”
 
などという張り紙が火災に先立って店前に張られていたともいわれています。。
これが世に言う天誅組張紙事件。当時、豪商がよく狙われたといいますな。
 
さてもこれで黙っていないのが、魚河岸連中でございます。
お前のところがだらしないから、浪士なんぞに狙われるのだ、
と三井相手に談じ込みます。
 

 
「やいやいやいやい、いってえこの始末どうつけてくれるんだァ!」
 
このとき乗り込んだのが相模屋武兵衛、といえば河岸のなかでは知らぬ者のない、
全身に彫り物をほどこした、まことに侠気に富んだ勇み肌でございまして、

「災難はお互い様といえ、もらい火で納魚にぬかりがあったとなりゃあ、
御城の台所をお預かりするこちらとしちゃあ、お上に顔が立たねぇ」
 
びっくりしたのは三井側でございます。
何とか示談にしようと、まずは各問屋に見舞金を差し出す約束をいたしますが、
それでは武兵衛、首をタテには振りません。
 
「天下の魚河岸を丸焼けにして、五両、十両のはした金とは…」
 
結局、十年無利子で助成金を請いたい。一店舗十両として二十万両。
まあ、ふっかけたものでございます。
しかし、そりゃあんまり高い、ということで双方話し合い、
大マケにマケて一万五千両でどうだ、というところで落ち着きました。
 
しかし、さしもの豪商も一万五千両ともなれば、その調達に苦心します。
仲間内の両替商に借用証文を入れて費用をまかないますが、その際に
“何しろあの乱暴な魚河岸から強談にあったもので…”などと言ったそうですから、
昔から魚河岸が世間よりどう見られているか分かるというものですな。
 
借用した大金のうち本当に返済したのは一部だけ。
ほとんどは維新のごたごたもあり“貸し下され”だったといいます。
だいいち、江戸は火事多発の町。魚河岸も平均3年半に一度焼失しているほどで、
いってみれば魚河岸はうまく焼け太りしたようなものです。
 
  駿河町富士を三井の大かがり 裏が五両で表が十両
 
当時、このような落首が詠まれたそうです。
富士の良く見える駿河町の三井で火事が出て、
魚河岸の裏店、表店にそれぞれ五両、十両を見舞金として出した、という意味と、
歌舞伎の曽我兄弟で、富士のすそ野でかがり火が炊かれ、
曽我の五郎(五両)と十郎(十両)が仇討ちをしたという意味がかけてあります。
 
 
魚河岸は“強談”でまんまと金をせしめましたが、
今度は見舞いとして、三井の店先にたいそう立派な板囲いを建てたりします。
まったく変なところで見栄を張るのがいかにも魚河岸風ですが、
三井の方でも「さすがは魚河岸だ、粋なこしらえだ」などと感心したそうです。