オレはいったいどこにいるんだ!? 磁石も利かぬラビリンス
(復刻版『築地市場ガイド』第7回)

『Tsukiji Fish Market』J.B.Haywood著より
本当をいえばアンタはこんなところに来るつもりはなかった。
連れのデニーが早朝のツキジは面白れえらしいぜ、というから、
ただなんとなくついてきただけの話だ。
ウキウキする相棒についてツキジを歩きながら、
スシ屋の店先や道具屋に並んだ小物にちょっとした興味をひかれもしたが、
だからといってそれほど楽しかったわけではない。
何となれば午前5時のモーニングコールは低血圧のアンタを相当に不機嫌にしていた。
市場の建物に入っていくと、そこには数え切れないほどの魚屋が続いていた。
並べられた魚の種類はそこに海をひっくり返したような賑やかさだ。
子どもの頃に故郷ルイジアナの州立水族館で胸おどらせた遠い日を思い出す。
「うわっ、これオコゼじゃん!」「ソードフィッシュだ! こいつ怒りん坊なんだよな!」
童心に還ったアンタは魚屋の店先から店先へと夢遊病者のようにさまよい歩くのだった。
「おいデニー、見てみろよ! マグロだぜ! でっけえマグロが転がってら」
しかし返事はない。
「デニー…」
いつのまにか相棒とはぐていたのだ。
われに返り、市場のなかをグルグルと探し歩く。
こんなところで別れ別れになっちまったら大変だぞ。
しかし、いくら歩いてもデニーの姿を発見することはできなかった。
行けども行けども魚屋の続くこの世界でオレはいったいどこにいるのか。
自分自身が迷子になってしまったのだ。
「(おい、出口はどこにあるんだよお!)」
道行くニッポン人に尋ねてみるが反応はない。
どいつもこいつもうすら笑いを浮かべて逃げていくばかりだ。
ときたま答えが返ってきても
「(ワタシ、英語しゃべれるできる、ある。少しも、そこにない)」
などという意味不明の言語を発して、やはり逃げていく。
何とか自力でここから出なければならないことに気づいたアンタは
ここから脱出すべく強く心に誓って、一歩を踏み出した。ところが…
魚・オヤジ・魚・オヤジ・魚・オヤジ・魚・オヤジ・魚・オヤジ・魚・オヤジ…
そこは合わせ鏡のように魚と魚屋のオヤジが延々と続く無限世界。
このありえない光景は、自分がアルプスの山中に置き去りにされた以上に
危険な状態であることを感じさせた。
“遭難”
それから何時間たったのだろう。
魚とオヤジの連鎖に疲れ果てたアンタはその場にへたりこんでしまった。
もうどうだっていいや。出られなくてもいいや。
そんな投げやりな気持ちになったときである。
ふいに耳元に波の音をきいた気がした。
いや気のせいではない。たしかにさざ波の調べが市場の喧騒の間からもれ聞こえてくる。
その行方を探すアンタは、魚とオヤジの世界に小さな割れ目があり、
その向こうに水辺が見え隠れしているのを発見した。
あそこが出口にちがいない! ついにこのラビリンスからの脱出できるのか……。
心地よい波の音に包まれて、アンタは再び途方にくれている。
目の前にひろがるのは「スミダリバー」という川である。
その岸壁に立って進退窮まっていた。
後ろに戻ればふたたび無限地獄。前方は行き止まりの岸壁だ。
しかし、そうだ! この川は海に注いでいる。
その海はまた太平洋を隔ててアメリカに、
遠く故郷ルイジアナママのもとまで通じているのだ! オレは帰るぞ!
「ママーッ!」
その瞬間、アンタはスミダリバーめがけて、飛んでいた。