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築地魚河岸昔がたり(36)さびれる魚河岸

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   ダメだ 今日も売れねえ
 
 
元号は明治となり、江戸は東亰と改められます。
 
“上からは「明治」だなどというけれど、「治まるめい」と下からは読む”
 
などという狂歌は、当時の混乱した世相をよくあらわしております。
 

 
江戸はその七割が武家の屋敷地でございましたから、
ご維新で旗本や御家人が一掃され、屋敷が没収ということになると、
市中の大半が荒れて、いっぺんにさびれてしまいました。
麹町や赤坂など屋敷町は、盗賊、辻斬りが横行し、日中でも人通りが絶えたといいます。
 
 
膨大な空地に手を焼いた明治政府は、桑茶令といって、
元武家地を二束三文で民間に払い下げ、桑畑、茶畑の開墾を奨励いたします。
渋谷区松涛といえば、現在では瀟洒な高級住宅地ですが、
明治初年にここは広大な茶畑となり、「松涛茶」という東京名産の茶がつくられました。
しかし、これが実に不味い。
あんまり不味いので後世にまで名を残したというくらいでございますから、
大した商売にはならなかったようです。
 
 
大半が荒れ地となり、不安な世相も反映して疎開する市民も出てくると、
元禄期には百万を越えた人口も、一気に半分以下となってしまいます。
その影響をもろに受けたのが魚河岸でございまして、何しろ売れ口が悪い。
人がいないのだから売れないのもごもっともでございます。
 
 
一方、見たことのない西洋文化の新奇さに人々は目をうばわれました。
ガス燈が灯り世の中が明るくなります。
鉄道が走り世の中が狭くなります。
電信という不思議なものが瞬時に遠隔地に自分の意志を伝えます。
どれも当時の人々には信じられないものばかりでしたから、
その驚きは相当なものだったでしょう。
 
 
開化の新しい物事に人々が理解できずにおかしな言動に出た、
などという当時の話がたくさん伝えられておりますな。
写真は魂をとられるとか、電信線には処女の生き血が塗られているとか、
外国船にはさらわれた少女が乗せられているとかの流言が盛んに飛んだりします。
 
 
明治五年の「血税事件」なぞはその再たるものでございましょう。
これは徴兵令が出されたときに、政府がフランスの徴兵令を直訳し、
「血税を納めるのは国民の義務」と公布したものですから、
生き血を抜かれると誤解した市民が大騒ぎをしました。
「逆さに吊るされて血を抜かれるのだ」
「軍隊の赤毛布は女の血で染めた」
「婚礼前の処女は樺太へ送られる」などの流言が広まり、
島根、美作、大坂などでは本当に数万人の暴動が起こって多数の死傷者が出るという、
信じられない騒ぎにまで発展したのでございます。
 
 
明治の開化は、長い封建社会から解き放され、
夜明けの時代が訪れたかのように言われますが、
実際は上から押しつけるかたちで行われたため、
人々はなかなか理解できずにとまどうのでした。
 
 
特に魚河岸の連中に開化も何もあったものではございません。
「どうなっちまうんだろうねえ」とただ首をひねるばかりでございました。