北の探検家 郡司大尉
何も撃たなくてもいいのに。
ロシア警備艇の銃撃で漁船の方が亡くなられました。
悲痛な事件です。
日本の漁業は近代に資源豊富な北洋に向けて発展しましたから、
ロシアとのせめぎ合いは昔からのことですが、
うまいものを食べるにも、実は命がけで獲ってきていることを、あらためて感じました。

郡司大尉
北洋漁業といえば、明治の探検家として名を馳せた
郡司成忠(ぐんじなりただ)海軍大尉を思い出しました。
明治26年、当時手つかずの状態にあった千島列島に漁業基地としての可能性を見たかれは、
千島への開拓移民団を組織しようと働きかけます。
すると郡司大尉の熱い思いを意気に感じた明治の壮士たち60人余が集まりまして、
そのなかには後に南極探検で有名な白瀬中尉の顔もありました。
「これから千島警備と拓殖のため、占守島に向かって出発します」と高らかに宣言し、
集まった群衆の熱狂的な歓声のなか東京を出港、北の地を目指します。
しかし、この探検は未知の北の海をボート3隻で漕ぎ出すという無謀なもので、
さっそく青森付近で暴風雨に遭うと、17名が死亡、船2隻を失ってしまいます。
軍艦に救助され、何とか函館入りを果しますが、
なぜ始めから軍艦で行かなかったのか、函館まで陸路をとらなかったのか、
ボートで探検するという壮烈さに自己満足したのではないか、と批判されるところですが、
それもひとえに郡司大尉の生来の向こう見ず君たるゆえん。
「これ以上はむり」と断念する団員に、「まだまだ勝負はこれからだ」と説得するかれの頭には
「成功」の二文字しかなかったことでしょう。
実際、凄絶なドラマはこれからでした。
函館に渡ると、そこでも漁業者からボートでの北行の無謀さを説得されまして、
仕方ないや、ということで定期船でひとまず択捉島に渡ります。
ここで運良く「おらが連れてってやるよ」という民間船を見つけて捨子丹島に上陸。
探検ののちに越年を希望した9人を島に残し、またまた幸運によって出会った軍艦で
目的地、占守島へ到着することができました。
ようやく目的地にたどりついたものの、
そこに待っていた運命はまことに悲惨なものでした。
食料も装備も十分ではないまま、探検調査を実施しつつの越冬で、
23名が死亡、捨子丹島の9人も全員死亡。
東京出発以来、実に51名もの犠牲者を数え、
残されたのは郡司、白瀬ら7名を残すのみ。
まさに風前の灯のかれらの運命は!?
というところで、この続きはまた近いうちに。