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2006年09月01日

関東大震災の話

子どもの時分、毎年9月1日になると、
祖母から震災の話を聞いた。
明治36年生まれの祖母は19の歳に地震に遭った。
生々しい体験談を何度も聞かされたので、
見たはずもないのに、僕はその光景が脳裏に焼きついている。

 
 
  shinsai1.jpg
  
 
「こち亀」で有名な亀有は、今では下町情緒の残る町として親しまれているが、
大正時代にはまだ畠のなかに停車場がひっそりと建つような辺鄙な土地だった。
そこの大きな農家に嫁入りした祖母は毎日家事と野良仕事に追われる。
その日も朝から畠に出てもくもくと草取りをしていたが、
祖母は異様な蒸し暑さに空を見上げた。
  
 
おかしな天候だった。
朝方からバケツをひっくり返したような雨が降ったかと思うと
カーッとお日様が照りつけてくる。
灼けるような日射しと叩きつける雨がいっしょにやってくるのははじめてだ。
それが収まると、今度は地面から湿気に蒸された熱い空気が立ち昇ってきた。
 
 
そろそろお昼の仕度にかからないと――
四ヶ月の子どもを宿した重い身体をゆっくりと持ち上げようとしたとき、
彼女はぞっとするものが近づいてくるのを感じた。
あれはなんだろう――
 
 
遠くの方で景色がゆがんで、
地面が波打ちながら津波のようにこちらに向かってくる。
頭のうしろでゴォーッという鈍い音が、
徐々に大きく、やがて耳をつんざくように響いた。
向かいの家の障子が、バタバタとけたたましい音を立てて庭先にころがった
 
 
次の瞬間、巨人の手で揺すぶられるように地面が無茶苦茶に回転しだした。
跳ね上げられ、突き飛ばされ、心もとない身体は何度も転がされた。
天と地が逆さになったと思った。
それが地震だと気づくまでに何秒かかっただろう。
畠の真ん中で四つん這いになったまま動けない。
自分を取り囲むように、いくつもの地割れが走っていくのが見えた。
 

2006年09月04日

関東大震災の話 その2

激しい横揺れと共に地面がパックリと口を開けた
大人4,5人も飲み込むくらいの裂け目が
まもなくズゥゥゥンという鈍い音を立てて閉じてしまう。
手風琴を奏でるように大地が単純な動きをくりかえすうちに
裂け目に少しづつ段差が生じていく。
 
 

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早く逃げなくては――
激しい揺れのなかで何とか起き上がろうとしたが腰が抜けたのか動けない。
手もとの梢につかまったとたん、
若い柿の木はまるごと地面の底にストンと落ちた。
前にのめった祖母は、柿の木を飲み込んだ穴に半身乗り出してしまった。
それは十メートルもあろうかという深いもので、
底にはドロドロになった熱いものが揺れに合わせてこねられ、
まさに今、蒸気を吹き上げながら昇ってくるのが分かった。


「このバカヤロウーっ。そこにいたら死んじまうぞぉーっ」
突然の怒号が彼女の全身に電気が走らせた。
何しろ鬼よりも地震よりもずっと怖い、舅の怒鳴り声だ。
身重の身体なのに気がついたらピンと直立していた。
「早くこっちぃ来いーっ」
舅が呼ぶ畦の向こうの大樹に向かって、それから命がけの避難が始まった。


地割れは一定の間隔で開閉を繰りかえしている。
いち、に、のさん、で、地面が閉じた瞬間に向こう側に跳んだ。
揺れに足をとられないようにタイミングをはかりながら
ひと越え、またひと越え、地割れをまたいだ。
舅の待つ樹の下にたどりついたときには、
凸凹に寸断された畠のそこここから、泥水が噴き上がり、
見る見るうちに一面を水浸しにしていた。


「さあ、早く登って」
大人数人でようやくひと抱えという大樹をするすると登った。
木登りは子どもの頃から大の得意である。
太い枝に腰をかけても、まだ大地は大きく揺れたが、大樹はびくともしなかった。
向こうの中川の土手を近所のサヨちゃんが登っていくのが見えた。
百貫でぶのサヨちゃんは必死で登ろうとするのに、
揺れが来るたびにコロコロと下まで転がり戻されてしまう。
それでもまた必死に登っていく姿を見て、思わずクスクスと笑ってしまった。


大震災で家に損傷はなかったけれど、何度も余震がやってきたので、
しばらくは野外生活となり、風呂桶に張った水を飲んでしのいだ。
揺れは徐々に静まったが、翌年正月15日に本震と同じくらい凄いのが来た。
その翌日に祖母は初めての子を死産した。
 

2006年09月05日

関東大震災の話 その3

「今日も見つからなかった」と祖父は言った。
震災から3日間、いまだ煙のくすぶる東京市内を歩き続けた。
祖父は地震で行方不明になった2つ違いのいとこを捜していた。
「明日は両国の方面へ行ってみる。あすこら辺は随分ヒドイそうだから」
 
 

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朝早くに家を出て用水道を下り、昼近くにようやく両国に着いた。
とはいえ見渡す限りの瓦礫の山は、そこが見慣れた両国の町であることに
容易に気づくことはできなかった。
まずは弁当を使おうと木陰を求め安田邸の脇道に入り込んだとき、
その光景を見て、かれは立ちすくんだ。
 
 
累々たる死骸……という言い方では凄惨さを表現しきれない。
遠目に建物の瓦礫と見えた小山はすべて人の亡骸でつくられていた。
押し合い、へし合い、黒く焼けただれた死者の重なりが、
なだらかにどこまでも続いた。
 
 
しばらく息を飲んでいた祖父は、ようやく正気を取り戻すと
当初の目的を果たすために死者の中に踏み入った。
重なり合った者らを判別するのは無理なので、
すそのに転がった遺体を見て回った。
 
 
「新吉、しんきちー」かれは返事を持たない群集に呼びかけた。
周囲でも同じように縁者を捜す者が何人も歩いていた。
炭のような身体を踏みつけた、その忍びない感覚に首をすくめて
辛抱強く歩いていると、それらのうちにひとつだけ正座をしているものがあった。
 
 
全身が焼けて前後も区別できない。
ただ、目も鼻もふさがれたうちに、かすかに動く口があった。
「お前さん、生きているのかえ!」
驚いて駆けより、何かしてほしいことはないか尋ねたが、返事はない。
握りめしをつまんで、その口に持っていってやると、
もく・もく・もく……と食べる。
竹筒をかたむけ、そこに含ませると、わずかに、飲んだ。
そのとき、心持ち笑みを浮かべたように思われた。
けれども次の瞬間には他のものと同じく炭のように空しくなっていた。
祖父は静かに手を合わせた。
 
 
1週間後いとこの消息が知れた。
地震の後、逃げまどう群集のなかで倒れて大怪我をして、
亀戸の救護施設に収容されていたという。
両国方面へ避難しようとしての矢先の難事だっただけに、
被服廠の惨状をきいて、ひどく驚いた。
「どうせ拾った命だよ」そう語ったかれも、
昭和二十年の大空襲ではその命を落とすことになる。
 

2006年09月06日

関東大震災の話 その4

 こないだの地震はまだ序の口で
 今度はもっと凄いのが来るらしい
 
 
 富士山が爆発して
 大島は海に沈んでしまうのだそうだ
 
 
揺れがひっきりなしにやってくるなか、
さまざまのおそろしい噂が人びとの口にのぼった。
テレビはなく新聞も止まった世のなかで、
すべての情報は人の口より発せられる。

 
 
自然のもたらす災厄への恐怖を語った口は
次に生活の不安と不満の言葉を喋り出す。
そして自らの発した言葉によって憎しみがかたちづくらた。
 
 
 井戸水を飲むな 毒が入っている
 
 
なぜ毒が入っているのか。
朝鮮人の仕業といわれた。
地震に乗じてかれらが暴動を起こした、との噂が広まった。
各町内に自警団が組織されて、多くの朝鮮人が迫害された。
 
 
祖母の家でもいっさい井戸水は飲まなかった。
朝鮮人が襲ってくるぞ、という話だったからだ。
飯塚橋の上でかれらを一列に並べておいて、
憲兵隊が端から剣で刺しては次々に川に放り込んだ、とか
上水には裸体の屍骸がいくつも転がっている、といった噂を耳にしたが、
祖母は血なまぐさいものを見ることはなかったので、
どこか絵空事のようにも感じていた。
 
 
震災の日から半月もたとうかという頃、
宵闇の畦道を家路を急いでいた時のこと。
二十間ほど向こうにもつれ合う人影を見つけて祖母は立ち止まった。
月明かりに照らされて、無言劇のように踊るふたつの影は、やがてひとつになった。
 
 
何だか近づきたくはないが、一本道を行かねば家へ戻れない。
おそるおそる歩いて行くと、仁王立ちになった男がいた。
手に持った刃物の先からこぼれるものがあり、傍らには別の男が倒れている。
それで刺したことはすぐに理解された。
 
 
月が冴えると、人の顔と思えない表情がこちらを見た。
その顔が震え上がっている自分に話しかけてくるので、
はじめてそれが近所の床屋の正さんだと知れた。
 
 
「この男は長いこと俺が使っていた小僧だ。
 ずっと目をかけていた。可愛がっていた。
 だがこいつは朝鮮人なんだ。
 それがバレたからこいつはまもなく殺される。
 他人に手をかけられるくらいなら、俺が殺してやりたかった……」
 
 
そのように話し終えたときには、
正さんはいつものやさしい小父さんの顔に戻っていた。
いっそうの怖さに、祖母はいつまでも震えを止めることができなかったと言う。
 

2006年09月07日

ふくちゃんの壁紙

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2006年09月08日

築地魚河岸昔がたり(38)新興勢力台頭

     sakanaya.jpg
 
 
江戸時代に魚河岸はお魚上納という重要な役目を果たすために
幕府によって保護されておりました。
その流通形態も固く守られておりまして、
各問屋には自分の持浦があり、浜方から自動的に魚が送られてくる。
その持浦を問屋同士が互いに犯さないという不文律があり、
有力な問屋に浜方が従属する形が長く続いていたわけでございます。
 

 
そのかたちが最初にくずれたのが天保の改革で、
問屋株の解散の中で魚河岸だけは例外的に存続が認められたものの、
その独占力は弱まり、漁業者である浜方の発言力が強まることとなりました。
それまで、魚問屋は仕入金さえ打っておけば自動的に浜から荷が届きましたし、
支払金の多少の遅れも目をつぶらせてもいました。


それがこの頃から、仕入金が一気に高騰しまして、
また、少しでも遅れれば途端に荷を止めてしまいます。
これを「無構え証文」といって、浜と問屋は一切貸借りは無しだよ~ん、という
まったくビジネスライクな関係になってきたのです。

幕末の動乱を経て明治の御代となると、
それでなくても混乱期にあった魚河岸に突然降ってわいたように、
「営業の自由」が打ち出されることになると、
旧い体制は勢い崩壊の一途をたどることとなります。
これは明治政府が漁業の自由化を基本方針として、
江戸時代の封建制度の中で一部に領有化されていた漁業を開放するもので、
株式や仲間を解散し、誰でも自由に営業ができるというものでした。


誰でも自由に営業ができるということになれば、
高利益を挙げる商売と見られていた魚河岸の問屋になりたい
という者が続出したのも当然でございます。
しかし誰でもすぐになれるという商売でもございません。
仲買や問屋の雇人、佃や芝の漁業者ら、魚河岸に関係の深い者が
問屋に転向するということが多かったようですな。


かれらは浜方とうまくやっていく経営感覚を持っておりましたから、
既存の大問屋に対抗するために、
口銭を少なくし、浜方との関係を強めつつ販売力を伸ばして行きました。
そのような新興問屋が台頭する一方で、老舗といわれた大問屋でも
旧来の商法に固執するものはバタバタと潰れていきました。


明治二十年代に魚河岸はあたかも戦国時代の様相で、
新旧交替が著しく行われ、その勢力図は大きく塗り替えられました。
ごくおおまかに言えば、旧態から脱却し、流通を良く把握し、
自由競争に打ち勝つ者だけが生き残れる、ということだったのです。


この時期に旗揚げした深川、佃島、芝金杉の魚問屋は三所組と呼ばれ、
老舗の大問屋との間に軋轢を生じつつも、
魚河岸の一大勢力として台頭していきます。
後にかれら新興勢力が魚河岸移転の原動力ともなっていくのですから、
歴史の流れと言うのはゆるやかに見えても、
実に着実であり、必然的なものであります。
 
 

2006年09月11日

まるで切り裂きジャックだ! 迫りくるチェーンソーと恐怖のブレードソード

(復刻版『築地市場ガイド』第8回)

      book.jpg
『Tsukiji Fish Market』J.B.Haywood著より
 
 
外国の書物でニッポンが紹介されるときに
決まって書かれるのがフジヤマにゲイシャにスシ。それからニンジャだ。
ニッポンにはまだニンジャがいると思っている米国人は多い。
あとは「混浴の風習がある」とか「チョンマゲをしている」とか
「恥をかくとハラキリをする」などと書かれてる。

 
 
そうした記述にニッポンの識者は
「はなはだしい誤解だ」などと眉をひそめるがどうであろう。
確かにニッポンにはそんなものはないが、何しろここはツキジだ。
このおかしな世界についていえば、むしろ控えめな表現といえるだろう。
すくなくともニンジャはいても不思議ない。
なぜならこの市場をつくったのはニンジャなのだから。
 
 
  ishidatami.bmp
        市場にひそむニンジャ
     何の変哲もない石畳の通路だか、
   石畳模様の服を着たニンジャが伏せている
 
 
理解外の連中がうごめいているのがツキジだが、
何も国家を転覆させようとか、誰かの命を狙おうというのではない。
たんに魚を売っているだけだ。
だが、ツキジに暗躍するサムライウォーリアーやニンジャたちは、
魚を売るための完璧な装備とテクニックを兼ね備えている。
かれらこそ魚を一瞬のうちに成仏させるフィッシュ・キラーであろう。
 
 
巨大な冷凍マグロ。
通称「丸太」と呼ばれるこのハードロック・フィッシュを
僅か数十秒で片付けるのが陽気な「テキサス・チェーンソー・マン」たちだ。
かれらの微妙な手さばきによって冷凍マグロはその複雑な背骨にそって
一分の狂いもなく真っ二つにされる。
朝の忙しい時間には毎分1本の割合で裁断していくキラー・マシーンだ。
かれらはまた、つねに缶コーヒーを飲んでいるので、
どの製品がどんな味なのかについても知りつくしている。
 
 
一方、生鮮マグロを叩き斬るマグロ侍は
「名刀ムラマサ」の破片で作ったという長刀をたくみにあやつる。
巨大なホンマグロですら、かれらの手にかかれば、
あっというまに見事なサシミの小片に切り分けられる。
かれらはサムライらしく寡黙で厳しい表情をたたえているが、
たいてい考えていることは「仕事が終わったら一杯飲りてえな」ということだ。
ニッポンでは仕事を終えて飲む「サケ」は特別な意味を持つ。
「うまいサケを飲む」とは「良い仕事」をしたことをあらわすのであり、
単に味覚をいうのではない。
 
 
さてニンジャがどこにいるかといえば、かれらは「忍び」ともいわれ、
その姿を認められたならすぐに自らの命を絶たねばならない。
だから通常かれらを見ることはない。
しかし、時として売り場の大天井から逆さにぶら下がっていたり、
活魚の水槽にひそみ竹筒を出して呼吸していたり、
巨大なホンマグロを切ったときに腹のなかから飛び出したりと、
一瞬その姿をかいま見るかもしれない。
 
 
だがかれらを追ってはいけない。
恐るべき手裏剣の餌食となり、アンタの首筋を冷ややかにさせるのがオチなのだから。

2006年09月12日

青い水の恐怖

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 ネコに似た怪生物(本文とは関係ありません)
 
 
カミさんが青汁のサンプルを貰ってきた。
「これ、いちばん飲みやすいよ。身体に良いから飲んでみなよ」
すすめられるままに一口含んでみると、こりゃあなんて味だ。
うえーっときたその瞬間、思い出したくないものを思い出した。
以前にこれに似たものを味わったことがある。
あれは……そうだ、プールの水。夏の日のよどんで苔むしたどろどろのプールの味だ。

 
 
高校1年の夏休み、
僕と友人のケルは退屈な夏の夜を何もすることなくウダウダ過ごしていた。
ひとつ暑さしのぎに近くの小学校のプールに忍び込むかってえことになり、
僕らは水着のまま金網を乗りこえたんだ。
 
 
真夜中のプールサイドは死んだようにひっそりとして、
重油みたいに真っ黒い水がだまりこくっていた。
プールの底はヌルヌルして黴臭い。
それでいて髪がからまるみたいに、やけに冷たい水が胸をしめつけてくる。
僕はなんだか気分が悪くなって、帰ろうかと思ったけど、
ケルが何食わぬ顔で泳ぎはじめたので、気にせず泳ぐことにした。
 
 
そうしてしばらく泳いでいると、急にケルの姿が見えなくなった。
ふと見るとプールサイドに女の人が立っている。
忍び込んだのを咎められるのかなと思ったが、女はにこにこ笑って手招きしている。
それは小学校時代の体育の先生で、どうやら僕の事を覚えていてくれたらしい。
 
 
「泳いだので喉がかわいたでしょう、お水をあげましょう」
 
 
そう言われると、何だかむしょうに喉がかわいてきた。
僕が口を開けると彼女はポットから水をどくどくと流し込んだ。
ああ美味しい、何て美味しい水なんだろう
もう腹が水で一杯になって苦しいのに、僕は水を欲してやまなかった。
 
 
「おい、しっかりしろ!」
気がつくとそばでケルが怒鳴っていた。
「お前がプールの底に沈んでいくからびっくりしたぜ」
口の中がドロドロに青臭くて本当にひどい気分だ。
「いやな水をずいぶん飲んじまったみたいだ」
僕はあんまり気持ち悪いので、口に指を入れて嘔吐した。
喉の奥からは女の長い髪がたくさん出てきた。
 
 
翌日から僕は熱を出したが、3日もすると回復した。
実はあのプールで女教師が足を滑らせて溺死し、
夏いっぱい使用禁止になっていたことを知ったのは、そのすぐ後だった。
 
 
「そんな怪談話しなくてもさ、そんなにマズいなら、別に飲まなくてもいいわよ」
「え、ああ…それじゃ止めとくよ」
 

2006年09月14日

チッチ

4、5日前から変な音がきこえてる
部屋のどこからか断続的に響くかん高い音
チッチ…チッチ という 電子音のような響きは
大きくはないけれど 耳の奥で鳴っているようで
四六時中きこえると いやになってくる
 
 
まったく機械音というやつはイライラさせる
真夜中に起きあがって 発信源を捜しはじめる
こいつにちがいない エアコンのカバーをはずしにかかる
確かにこの中で鳴っているはずのなのに 何もない
すると あざ笑うかのように 別の場所からきこえる
 
 
今度は室内灯を分解しはじめる
でっかいカバーをよいしょと持ち上げたとき 頭のうしろで鳴った
あ、と思い 引き出しを開けて 「たまごっち」やら「携帯ゲーム」をひっぱり出す
でも 何年も使っていないので とうに電池は切れている
 
 
チッチ……チッチ……
 
 
クロフォードだかの怪奇小説に 音に殺される男の話があったけど
あの主人公はこんな気分だったろうか
いいかげん つかれて横たわっていると ふいに鼻先を黒いものが横切った
そいつは何がしかの昆虫で 食器棚のかげに身をひそませる際に
一瞬 自分としっかり目が合った
 
 
秋の夜長に虫聞きとは なかなか風流だ
不思議なもので そいつが機械ではなく自然の音と分かると
ちっとも耳ざわりではなくなった
むしろ心地良く響いて 昨晩から安眠へ誘ってくれている
 
 
チッチ……チッチ……

 
        bug.jpg
 

2006年09月15日

トロ伝説

    dougiri.jpg
 
 
“トロ” というのは 日本橋の老舗『吉野鮨』から生まれたらしい
命名者は三井物産の社員 らしい
大正時代に この店を贔屓にしていたかれらが
好んでマグロの脂のところを注文したそうで
はじめは “段だら”をくれい とか “シモフリ”にぎってよ
なんて注文していたのが もっと気のきいた符丁にしようということで
じゃあ 口の中でとろっと溶けるから“トロ”にしよう と決めたのだそうだ
 
 
たぶん それはホントの話 だろうけど
でもそれが どうやって世間に広まったのか
いろんなところで同時に使われだしたのかもしれないし
その時代に生きていないから わからない
定説というのは 確かめようがないようなことをいうのだ
 
 
昔は“トロ” は捨てられていた なんて話をきいたことがある
ていうか このホームページに書かれていたりするんだけど
それだって ホントかどうだか
商売もんとしての価値は低かったんだろうけど
あれはうまい 好物だ なんて当時の人が書いているのも読んだ
マグロ屋の大旦那だった古老に話をうかがったけど
“トロ” を捨てたことは 生涯いちどもない ということだ
 
 
おもしろいけど ホントはわからない
都市伝説はこんなふうに生まれてくるんだろう
 

2006年09月19日

マグロマン誕生

   maguroman1.jpg
 
 

昔むかし ツキジの魚市場にたいそう正直者のマグロ屋がおったそうな
その名をヨシオといい 生まれていちどもウソをついたことのない
あたまにバカがつくほどの正直さが 商売人としてはかえってわざわいして
いつももうけの少ない商いばかりしておった
 
 
朝のセリ場でも ホンマグロやミナミマグロなどは買えずに
いちばん安い冷凍のバチを お得意さんのために一本だけ仕入れるのが精一杯じゃった
それでも安マグロをていねいに手をかけてお得意先に持っていったから
多くの魚屋さんから ヨシオのマグロは正直だと よろこばれておったんじゃ
 

 
ある日のこと ヨシオがいつものように仕入れたバチを小車に乗せて
えっちらおっちら運んでおったところ ひょいと足がつまずいてしもうた
そのはずみで小車からマグロがすべり落ち 岸壁をコロコロと転がっていった
 
 
 「おや これはどうしたことか 大切なマグロが逃げていくでねえか!」
 
 
ヨシオはあわててマグロをおいかけたが コチコチに凍った冷凍マグロは
勢いよくすべって あれよあれよという間に 隅田川に落っこちてしもうた
 
 
 「これはえらいことになった 困ったのお いったいどうしたものかのお」
 
 
ヨシオはガックリと肩をおとした
もう一本仕入れようにもお金など持っていない お得意さんにもうしわけない
かれはすっかりとほうにくれて ボタボタと涙を流した
 
 
するとその時 隅田川が光りかがやいたかと思うや
水面から上戸彩似の女神がうかび上がると ヨシオを見おろしてこう言ったのじゃ
 
 
 「正直そうなマグロ屋よ。そなたは何を泣いておるのか」
 
 
女神のこうごうしい光にうたれて 頭をたれたままヨシオは恐れながらに答えた
 
 
 「実は大切なマグロを川に落としてしまったのでごぜえます」
 「それは気の毒なこと よろしい わらわがおとしものを探してしんぜよう!」
 
 
女神は手をひるがえすと 何と水中から極上の近海物ホンマグロがあらわれた
 
 
 「そなたの落としたものはこれかえ?」
 「いえ めっそうもございません ワシはそんな上等なマグロは買えません」
 「それではこっちかえ?」
 
 
今度はまるまると太ったミナミマグロが出てきたが やはりヨシオはかぶりをふった
 
 
 「いえ ワシの落としたのは もっと安い冷凍バチでごぜえます へえ」
 「するとこいつではないかえ?」
 
 
女神が最後に出したのはまぎれもないヨシオの落とした安いバチじゃった
ヨシオはまちがいなくそれでごぜえます と答えると
女神はすっかり感心してこうおっしゃった
 
 
「あっぱれ正直者のマグロ屋よ そなたの純真な心にめんじて全部持っていくがよい」
 
 
ヨシオは正直さゆえにホンマグロもミナミマグロももらって大もうけしおったのじゃ
 
 
そのとき そばで見ておったのが 儲けのためなら偽装表示も辞さないという
うそつきマグロ屋のワルオじゃった
自分も幸運にあずかろうと ヨシオのマネをして隅田川からマグロを落とそうとしたが
もったいないのでひろってきたマグロの頭を投げこんだ
すると隅田川からドロドロという不吉な音と共に
天山広吉似の大男がうかび上がり ワルオを見おろして言った
 
 
 「うさん臭そうなマグロ屋よ ワシに何か用か」
 
 
何かちょっとちがうなと思いつつ 頭をたれたままワルオは答えた
 
 
「実は最高級ホンマグロを川に落としてしまって難儀しておりやして へえ」
 
 
とたんに大男は天にも届くような大声でワルオをどうかつした
 
 
「このウソツキめ! キサマの落としたのはこのマグロの頭だ キサマの頭にこいつをくっつけてやる!」
 
 
そう言ってワルオの頭を引きぬくと かわりにマグロの頭にすげかえてしもうた
 
 
こうして世にもめずらしいマグロマンが誕生したんじゃ

2006年09月20日

偽装表示

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2006年09月21日

マログ

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2006年09月22日

楽しい一日

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2006年09月25日

築地魚河岸昔がたり(39)コレラ騒ぎと移転命令

   uriba3.jpg
 
 
今からは想像もできないことでございますが、
明治の東京人にとって夏は「コレラの恐怖」の季節でございました。
毎年暑くなる時分には誰もがなま水を敬遠し、生食を控え、
そして決まって魚河岸の悪口を言い合いました。
 
 
「一体何だってあんな不潔なものがこの帝都にあるんだ」
 

 
明治の中頃には東京の人口も増加の一途をたどりますと、
それに伴い魚河岸も問屋仲買ともに数を増やし、扱い量もぐんと伸びます。
幕末維新には閑古鳥が鳴いていた商いもなんとか息を吹き返しました。
 
 
しかしその一方で、市場内の混雑と狭さはピークを向かえておりました。
当時、魚河岸には共同便所というものがありませんでした。
河岸の者も買出人も川で用を足すようなありさまで、
そればかりか汚水や魚のカスまで流すのですから、
日本橋川は夏場にはひどい腐臭がただようこととなります。
 
 
コレラといえば、なま物。なま物といえば魚。魚と言えば魚河岸。魚河岸といえば不潔。
という具合に連想が進みまして、そんなものを東京の真ん中に置くのはけしからん。
魚河岸があるからコレラが蔓延するのだ、という論法がでてきました。
 
 
最初の大流行は明治十年夏。
このときは五百人が感染し、約四百人が死亡しております。
文明開化の世に降ってきた突然の伝染病に市民は、
西南戦争で死んだ維新の功労者西郷隆盛の祟りではないかと怖れたといいます。
その次が十五年。フランス軍艦から伝播し、六千人感染、死者五千人。
さらに十九年の大流行は最大のもので、一万二千人が感染、
うち九千人が死亡するという悲惨な記録が残っております。
 
 
この十九年の大流行を重く見た政府は
二十一年の「東京市区改正条例」でその対策を講じることになりまして、
その中で魚河岸を移転させる構想を打ち出しました。
当時の魚河岸の非衛生さがコレラの発生に関係したかは定かではありませんが、
コレラ禍を機に魚河岸を東京の中心から移転させようという動きが活発化いたしました。
 
 
そうして明治二十五年、魚河岸に移転命令が出されます。
しかし、政治的折衝などもあり、すぐに十年間の延期となりました。
さらにその後も、五年、五年、三年とさらに移転は延期されていきます。
 

2006年09月26日

かつ丼

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    しりません いっこうに在じません
アタクシではありません いっさい記億にございません

 
 
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            おや?
 
 
 
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          ・・・・・・ ・・・・・・
 
 
 
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      アタクシです やりました 犯入です
       問違いありません 目白します