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2006年11月01日

一周年

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                     背様のご愛顔によりまして
                     このブロダもあっという問に
                     一週年をむかえました

                   これから どういうことになりますか

aisatsu2.JPG
 
                   令後とも伺卒旦しくお願い到します

2006年11月02日

ジャイアント・ボブ

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おいらのビートくんが車検から戻ってきた。
デスピ、タイベル、ウォータポンプ、メインリレー、
あちこち直して、何かすっかり調子よくなった感じ。

でも、4年間で走行6千キロってのはちょっと乗らなすぎだな。
てんで、天気も良かったんで一日中乗り回してた。

路肩に停めて、(いつものように)幌の留め金がはまらずに
ガチャガチャやっていると、

 ソレハ コースルト イイネー

急に声がきこえたと思ったら、窓わくよりもデッカイ顔がのぞきこんでる。
それがボブ・サップそっくりのガイジンさん。
しかも3メートル(はあったよな…)くらいの大男だ。

 コウ コウスルネー ソウヨ イイヨ べりーグッ

なんか身振り手振りで教えてくれる。
あ、ホントだ。なるほどこうするのね、サンキュー、サンキュー、ボブ、ベリーマッチ
でもアンタ、何でこんなこと分かるの?

 ワターシモ オンナジ クルマノッテルカラ 
 ヨク シッテルノヨウ! a laugh laugh laugh laugh laugh

通りすがりのナイスガイは英語で高笑いすると、
3メートルの巨体を揺らして去っていった。
それにしてもボブ、自分より小さな車にどうやって乗るんだ?

2006年11月06日

仁丹の日

気持ちの良い休日、都電に乗る。
オモチャみたいな電車からながめると、
窓の景色も作りものめいて、何だか愉しくなる。
 
 
「アンタ……」
 
 
ふいに初老の人が話しかけてきた。
あ、こりゃ気がつきませんで……
 
 
「いや、ワタシは座りゃせんよ。それよりアンタ、おもしろい顔だねえ」
 
 
いきなり言われて、僕はちょっと面食らった。

 
 
「ふんふん、アンタの顔の相はとても良い。
人をたくさん楽しませるような顔をしている」
 
 
何だろう、この人? 易者か何か?
 
 
「いやこれはどうも、良いものを拝ませてもらった。
 久しぶりに良いものを見た。
 お礼に仁丹をあげよう。ほれ、手を出して。
 おっと、ワタシはここで降りるよ」
 
 
そう言うなり、スタスタと降りてしまった。
 
 
僕の手には仁丹が10粒ばかり残された。
噛んでみるとそれは昔の父親の味がした。
 
 
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♪たまのお休み嬉しいな 皆揃って 汽車の窓
 満員人ごみに揺られてて 気持ちがオカシクなった時
 スーッとね スーッとね 一粒飲んだらスーッとね
 ジンジン仁丹 ジンタカタッタッタ
 ジンジン仁丹 ジンタカタッタッタ
 皆揃って ジンタンタン
 

 (三木鶏郎作 「仁丹の歌」森下仁丹)

2006年11月07日

魚河岸の仁丹塔

むかし、魚河岸に仁丹塔が建っていたと
河岸の古老にお話をうかがった。

実物の分かる資料が見つからなくて、
聞き取りにたよったものだったけれど、


日本橋際に建っていた
電球によるイルミネーションがあった
ヒゲの軍人のデザインがあしらわれていた
  
 
らしいことが分かった。
「元祖」の明解市場語辞典にも “じんたんとう” として載せてある。

 
 
最近、それを読んだ友人のmoto氏が
下のような画像を送ってくれた。
 
 
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なるほど、仁丹の広告塔が建っている。
 
 
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拡大するとこんな感じ。
 
 
以前、浅草田原町にあった十二階を模したやつを想像してたんで、
ちょっとイメージがちがったけど、
まだ照明の少なかった時代にこんなのが光ってたら、
古老の話にあるように、さぞ美しかったにちがいない。
 
 
そんなわけで魚河岸地図もいずれ訂正しなけりゃ……
 
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2006年11月09日

干物づくりツアー

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         千物づくりシアーにきました
 
 
 
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          あ、ナニをするのですか
 
 
 
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           なんで樶りますか
        身休がパリパリしてきました
 
 
 
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        なぜ白分が千物になりますか
     天目で千されて、ほっくらとオイシイですか
 

2006年11月10日

21世紀はいつ来るの?

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昔の小学生にとって21世紀はずっと未来のことで、
そこにはすごい世界が待っている、ということになってた。
 
 
21世紀には、車は空を飛んでなければならず、
人口爆発で空中都市やら海底都市やらに人々は移住し、
宇宙バスが5万人を乗せて月に飛び、
DNA操作で小型化されたキリンが机の上を歩き、
合成プランクトンの無機質な味に舌鼓を打つ、ていう
原色の未来がどうしたって21世紀だったはずだよ。
 
 
まあ別の意味では、
昔は想像もつかなかったスゲエこともたくさんあるけど、
実はまだ20世紀の延長戦で、
これから本物の21世紀がやってくるべきだ、と思った。
 
 
河岸引けにターレの荷台にたむろって、
ビールを飲んでいると、こんなの21世紀のはずがない!
と特に思った。
 

 
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  (「宇宙少年隊長」より)
 cogitoさんからいただいた小松崎茂先生の原画
     

2006年11月14日

築地魚河岸ことば “八丁艪”

はっちょうろ【八丁艪<魯>】

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片側に四丁ずつ合計八つの魯が付いている船。
 
 
発動機船が登場する以前、江戸時代中期から明治後期にかけて
最も船足が早く頑丈とされた。
 
 
しかしそれでも大海原では木の葉にも等しいもので、
鉢巻にふんどしの素っ裸の男が勇壮な掛け声とともに体力にまかせて海に出て行くが、
出発の勇ましさも、沖にでているうちに大時化となれば、ひとたまりもなく転覆。
漁師の命は果敢ないものだった。
 
 
男が死ねば女は後家。
八丁魯は別名“後家船(ごけぶね)”と呼ばれていた。

2006年11月16日

干物

    hoshifukusuke.jpg
 こないだの千物ツァーで
すつかり千からびてしまいました

2006年11月17日

ふくちゃんの風邪

      kaze.JPG

     嵐邪をひきました
     背様 くれぐれも、
  お身休にはお汽をつけください

2006年11月20日

築地魚河岸昔がたり(42) 大正デモクラシー

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        時代は変わっても魚河岸は変わらず
 
 
移転問題をめぐって、すったもんだと内輪もめを繰りかえす魚河岸。
しかし、その間に日本の漁業は大きく転換していました。
長年続いてきた沿岸漁業から遠洋漁業へと、
世界の漁場への進出がめざましくなってまいります。
この時、日本の漁業の近代化を推し進めたのは、
銀行や企業などの、水産業とは直接関係の無い商業資本でした。
 

 
江戸時代に仕切金によって各地の浜を従属させ
荷を独占していた魚河岸は、日本の漁業を長らく牛耳る存在でした。
しかし幕府瓦解によって後ろ盾を失くし、存在意義を危うくした魚河岸は
明治以降の漁業史において、完全に土俵の外に放り出された感があります。
 
 
あるいはもっと目先が利いたならば、産地に資本を投下して
漁業振興で大儲けをすることも可能であったかもしれませんが、
しかし、魚河岸は一個のまとまりをもった組織ではなく、
何となれば小さな問屋がしのぎを削るムラ社会。
それぞれが販売競争に明け暮れて、産業振興の波に乗ることは
ついにできなかったのです。
 
 
さて、近代漁業の発展には多くの先駆者たちの
知られざる努力があるのですが、そんなお話は別の機会にゆずるといたしまして、
その目ざましい進展をとげるきっかけとなったのに日露戦争があります。
戦争の勝利によって漁業権益を得ると、水産業は外貨獲得の大きな手段として、
国策の中心におかれることとなります。
 
 
しかし、この戦争は別の側面で歴史の大きな転換点ともなりました。
当時の国民はロシアに勝ったことで多大な戦利品を期待しました。
というのもこの戦役に払った代償があまりに大きかったからです。
成人男性のおよそ4人に1人が戦争に取られます。
そればかりか働き手を失った家庭には過酷な重税が襲いかかりました。
戦争というのは、金がかかるんでございますな。
まず国民を丸裸にしなきゃ始められないのですから大変なものです。
そんな苦労の果ての勝利ですから、多額の賠償金を取れるのは当然。
なかにはロシアの3分の1くらいは日本の領土になる、なんて言う人もおりました。
 
 
ところがフタをあけてみれば大したものはもらえません。
賠償金どころか、何かロシアに有利なように決着しそうな気配。
いわゆるポーツマス条約というものでございます。
実は日本にはもう戦争を継続するだけの余力がないところへ、
都合良くロシアの方でも内乱とか起きたためにギブアップしてくれたんで、
うまいこと終わらせることができた。
実質、勝ったというほどではなかった
でも、国の発表では「勝った、勝った、大勝利!」なんてやってたものですから
国民はこんなはずじゃなかったのに、とガッカリします。
そして長年苦しめられてきた不満から、失望感は怒りに変わります。
有名な「日比谷焼き討ち事件」。
日露戦争終結反対の集会で民衆は暴徒と化し、警視庁などを襲い、東京に戒厳令が引かれます。
これにより当時の原敬内閣は総辞職。民の力で内閣が倒れるのはこれがはじめてでした。
これを契機にいわゆる民衆運動というものが高まりを見せまして、
一般民衆の力が政治的にも影響を与える時代、大正デモクラシーへとつながってまいります。
 
 

さて、それが魚河岸のその後とどうかかわってくるのか、
ということはまた次回にお話いたしましょう。
 

2006年11月21日

ふくちゃんのTシャツ

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先日の生田與克一座興行
紙芝居の実演をやったT氏のコスチュームは
何と! ふくちゃん!!
 
 
まぼろし用品店』というサイトで見つけたそうな。
 
 
このサイト、
大正時代の商標など、心惹かれるデザインTシャツがたくさんあって、
どれも欲しくなっちゃいます。

2006年11月22日

怪獣図鑑

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昔の怪獣図鑑です。
すっかりボロボロで、ようやく形を保っているという状態。
 

 
昭和40年代には、子ども向けの“入門書”というのが
書店の棚のけっこうな部分を占めていたような気がします。
いわゆるハウツーものというやつでしょうか。
 
 
『野球入門』とか『トランプ入門』とか『つり入門』とか『飼育入門』
まあ、そういったやや実用的なものに混じって
ラインナップされているのが『怪獣入門』だったりするんですね。


どういった“入門”なのかは分かりませんが、
多くの子どもたちが本を買って門下生となるわけです。
 
 
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     レッドキング シェーッ!!
 
 
学ぶことはたくさんあります。
“出身地”とか “体長”とか “重さ”とか “弱点”(これは重要!)とか。
また、身体特徴なども必須情報ですが、これはカンタンです。
身体の各部位に、その怪獣の名前をつけてやれば良いだけです。
“バルタン目” 、“バルタン胃”、 “バルタン足”、
“バルタンスペルゲン反射板”といった具合です。
 
 
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そうやって日夜、学習に勤しんだ後がしのばれるこの本には、
無数の落書きやアンダーライン、さらに誤植の訂正まで
びっしりと細かく書きこまれていました。
 
 
これほどの情熱をもっと有意義なことに使っていれば…
なんて思いませんけど。
 
 
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  エリマキ怪獣ジラースを狙う…

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   ちょい悪ウルトラマン


2006年11月24日

怪獣図鑑その2

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 カネゴンのつくり方が出てた。
 つくりたいな、カネゴン……

 
 
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 こんなものを用意するのだ……メリヤスだよ!
 
 
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      コイン発見眼ての?
   発泡なら河岸にいくらでもあるね
 
 
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    昔の魚屋に下がっていたザルだな
 
 
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          何だって!?
 
 
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         いくらなんでも、これはいかがなものか?
 
 
 
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               他にもこんなのがあった
 

2006年11月28日

築地魚河岸ことば “アタマ”

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アタマ【頭】

日本橋魚河岸で習慣的に行われていた「歩戻し」のこと。
百分の一を買方に与えていた。
江戸時代から行われていて、はじめは問屋と仲買との間に限られていたが、
いつのまにか問屋と魚商、仲買同士、仲買と魚商という具合に広がり、
魚河岸の商売は一円につき1銭の「アタマ」というのが、しきたり化した。
 
築地市場に移って廃止されたが、長年の習慣は根強く、
昭和7年に市場と魚商とに勃発した「魚河岸争議」の遠因にもなった。