築地魚河岸昔がたり(47)芝浦に臨時市場

芝浦二号地につくられた仮設市場
九月四日、安倍ら魚市場組合幹部は水産局の村上局長から呼び出しを受けます。
「いったい君たちは何をしているのだ。魚市場の開市が遅れるということは
市民の保全にかかわることだ。ぐずぐずしているなら、
自分は横っ腹に風穴が開くの覚悟で、生産者に魚市場を開かせるつもりだ。
すでに二日、海軍省の無線電信で各地の大漁業者に至急荷をおくるよう
命じておいたが、そのうちには既に発送されているものもある」
村上のまるで鉄火な剣幕に驚いた一同は
さっそく東京市へ駈け込むと、田島勝太郎助役を訪ねます。
市場開設のための土地を懇請すると、
田島助役はすぐに山本権兵衛首相に陳情してくれまして、
築地の海軍技術研究所跡なら使っても良い、との口約束を取りました。
しかし、目下の営業場所を何とか探さなければなりません。
田島助役は、適当な場所があれば便宜を図るから、
すみやかに臨時市場を開くように、といいます。
そこで魚市場組合の役員たちはトラックに乗り込んで、
焼け跡の東京をつぶさに見て廻りました。
日本橋魚河岸、中洲、越前堀、築地、と訪ねますが、
どこも瓦礫に埋もれ、すぐに市場を開けるような状態にはありません。
最後に訪れたのが芝浦の埋立地でございます。
埋め立てたまま手つかずになっている二号地に目をつけました。
ちょうどこの付近に避難していた魚市場組合前頭取の白沢武平と偶然に出会い、
白沢の知人がこの地所の持ち主だったことから話が進んだといいます。
生い茂る雑草を皆で刈りとることから始まり、
東京市から高さ二間、九尺九尺の大型テント10張りを借受け、
九月十七日、ようやく仮市場開場へとこぎつけることができました。
しかし何しろ野原に建った仮設市場ですから、
下水設備すらなく、雨でも降ればドロドロ泥田のぬかるみに埋まります。
荷もなかなか集まらず、四日市の冷蔵庫にあった鮭を売ってのやり繰り。
売るものがなくてスイカまで商ったといいます。
そのうち、おいおいに荷物が集まるようになりますと、
とにかく商売できればということで、
はじめ百人ほどの業者が、やがて五百人ほどになりました。
それで仕入れれば売れるという状況でしたので、
この仮設市場もなかなかに繁昌いたします。
魚河岸連中もけっこう儲かったのでございますな。
ふところ具合も良くなりますと、何といっても遊び好きの連中のこと、
近所の宿屋、料理屋を借りきって住居代わりといたします。
芝浦付近の店は軒並み魚河岸に占有されるということになりました。
そんなドタバタのなかで九月から十二月までを過ごしました。