築地魚河岸昔がたり(48) ちょうどいい、潰してしまえ

芝浦市場の荷揚げ風景
芝浦の仮設市場で商売をはじめたのは主に移転派の問屋たちだったのですが、
一方の非移転派は、長年住み慣れた日本橋を捨てる気はさらさらありません。
地主であり家主でもあるかれらは、焼け跡に戻って家を建てることは自由です。
だから、焼けても日本橋でまた商売を始められる、そう考えていました。
実際に多くの問屋がガレキの売場を掘り起こし、熱い灰をかきたてて、
以前に店のあったところにバラックを建てて商売をはじめようとします。
ところがすぐに警視庁から営業停止命令が届きます。
理由は道路使用禁止。つまり公道を売場に使用する市場の慣習を禁止するものです。
ならば家屋内でのみ販売する、といったところで許可はおりません。
おりしも戒厳令という異常事態にあって警視庁は強硬でした。
非移転派の有志は旧魚河岸内で再開のための集会を開こうとしますが、
戒厳令下にあって集会はすべて禁止。これがかないません。
それから何度も店を開こうとし、実際に魚の荷を呼ぶこともしますが、
そのたびに警察によって追い立てられ、ついに売場再開は実現しませんでした。
警視庁にとって魚河岸は、長年にわたって治安、衛生の上での大問題。
これを解決するのに絶好の機会と見たわけです。
警視庁のキアイの入れ方を見て、その尻馬に乗ったのが東京市でございました。
魚河岸が自分らでとりあえず芝に仮市場を開いたし、
一方で市内各所の他市場も本所横網の江東仮市場に収容できた。
後は神田多町の青果市場をどうにかしてやれ、ということで、
警視庁に道路使用禁止のお達しを出してもらって業者を強制撤去させると、
秋葉原駅南口一帯に早々に仮設市場をつくります。
多町の青果業者も焼け跡にバラックを建てて営業を試みたのですが、
魚河岸同様にやられたのでは手も足も出ません。
最早移転止むなしを覚悟いたしました。
ところが、ここで鉄道側からクレームがつけられます。
市がつくった仮設市場は鉄道用地でございますので、お貸しできませぬ。
とにかく早急に移転を進めようとした東京市は、
ナニ、震災のどさくさで建物さえ建てれば何とか話がつく、とタカをくくったのか
開場の手続きをどんどん進め、関係方面に案内まで出しておりました。
しかし何を間違えたか、鉄道大臣山之内一次にまで案内状を送りつけたものですから
受け取った山之内鉄相が「オレ、きいてねえよ」とヘソを曲げてしまい
せっかくこしらえた仮市場を壊す、という大失態を演じることになりました。
混乱に乗じて一気に市場問題を解決しようという
行政側の拙速さが勇み足となったわけですが、
後になって、よくよく考えてみれば、
魚市場組合の移転派の役員たち、早々に芝の仮設市場での営業を進めた人たちも、
同じように勇み足ではなかったでしょうか。
この際だから、移転を進めてしまおう、という意図がなかったのか。
歴史にIFがあったならと考えますと、
震災直後に魚河岸の業者が一致団結して、バラック建てでも良いから、
日本橋に一斉に売場を開いたとします。
そして、しかるべき後に、閉鎖止むなしならば、その補償をせよ、と迫ったなら、
この後、中央市場開場までに次々に沸き起こってくる問題も、
ずいぶんと違ったかたちをとったものではないかと想像せずにはおれません。