築地魚河岸昔がたり(54) 板船事件(その2)

魚河岸バクハツ
昭和三年十一月、昭和天皇即位の祝賀気分に酔いしれる東京市に
突然冷や水を浴びせるかのようにわき起こった板船事件。
魚河岸というところは何だか旧態依然として分からんところだが、
やはりとんでもない伏魔殿だった、と当時の世間に印象づけた大騒動とは
いったいどのようなものだったのでしょうか。
日本橋魚河岸時代の権利保持者は、震災後五年を経過しても
いまだその補償問題に埒があかないことに非常な不安を感じて、
ツテを通じて市会議員に働きかけました。
その際に業者が板船補償を有利に運んでもらうために
十数万円を数度にわたり贈ったことが摘発された、というのが板船事件でございます。
何と八十名の市会議員のうち二十五名が容疑の渦中に巻きこまれて
取調べを受けたのですから大変です。
翌四年一月にはついに東京市会解散という不祥事に見まわれ
東京市会空前の大疑獄事件に発展いたしました。
当時、市会議員も勤めていた魚市場組合長今津源右衛門も拘引されましたが、
取調べ中に容疑の決着をみないまま同年八月に急逝してしまいます。
もちろん委員会の審議も頓挫、補償交付金支給は無期限延期となってしまいます。
板船事件はそもそも市会が板船権への認識を欠いたことが原因となっています。
魚河岸特有の既得権益を理解することは難しかったのでしょう。
魚市場業者が賄賂を贈ったといっても、かれらにすれば何ら悪行でも何でもなく、
自らの生活を守るために必死だっただけのことです。
しかし、市会議員を通じてその正当性を主張すればするほど、
魚河岸の連中が金をばらまいて不当な利益を得ようとしたのだ、と
強く印象づける結果となってしまったのは、閉鎖社会魚河岸の悲しき宿命でした。
それにしても総評価七百万円と計上された権利に対して
わずか九十万円の交付金を受けるために十数万円の出銭をして、
かろうじて七十万円に減額されて、それがようやく交付の運びとなったとたんに
このような事件が出て、すべてオジャンになったのですから、
魚河岸としてはまことに泣きっ面に蜂という体でございました。