築地魚河岸昔がたり(56) 魚河岸よ、横暴を改めよ

築地市場建設工事はじまる(昭和7年7月)
日本橋以来、魚河岸の問屋仲買は小売の魚屋に対して
ひどく尊大な態度をとることが、なかば日常化しておりました。
ことに棒手振(ぼてふり)の行商人が多かった時代には、
「方角師風情が何をいうか」というような雰囲気に満ちていて
魚屋は問屋仲買から一段低く見られていたようでございます。
魚河岸の連中は魚屋さんに「呉れてやれ」といいます。
本当に呉れてやれば河岸の旦那らしくてカッコいいのですが、
実際には鮮度が落ちたり、品が悪かったりして、
本当は八十銭の価値しかないものを一円で売っておいて、
魚屋さんが店の番頭に値切りの掛け合いにきたのを、
奥から店主がその二十銭分だけを「呉れてやれ!」と怒鳴るわけです。
江戸時代には幕府上納とか屋敷方納魚が魚河岸のいわば本業で、
町の魚屋さんには「売ってやる」というような
まるで客とも思わない商売のやり方がまかり通っていました。
ところが時代が変わり、築地へと移っても、かれらは旧態依然のまま
お大名商売を続けていたのですから、魚屋連中の不満はたまります。
「魚河岸よ、横柄な態度を改めよ!」
約二万人からなる買出人の八つの団体が東京鮮魚買出人連合会を組織し、
昭和七年一月八日、魚市場組合に対して次の四項目の要求をつきつけました。
1.通路の整理
2.度量衡並びに風袋の正確
3.欺まん的着色の取締り
4.卸売業者の市場内外における小売行為の禁止
つまり、通路に荷物を出張るのは危ないからやめろ、量目をごまかすな、
魚に色を塗ってだますな、魚河岸業者は直売りをするな、ということで、
いずれも至極もっともなことで、こんなことが要求条項となるほどですから、
当時の市場がいかに無秩序な状態であったか知れましょう。
魚市場組合側はこの要求に沿うことを約束しますが、いっこうに改善も見られない、
ところへ製氷払下げ問題が起こりました。
ついに業を煮やした買出人側は、七月三十日、
前四項目にさらに次の二項目を追加して再び要求書をつきつけます。
5.魚市場においては買出人の団体員に販売することを原則とすること
6.買出人の団体員に限り奨励金を交付すること
市民に及ぼす重大問題として要求申上げる。
来る八月五日迄に回答を得られたい。
今回の要求は一歩も退かずという買出人の強い意志がありました。
この運動を導いたのが当時東京鮮魚買出人連合会副会長であった塩沢達三氏です。
のちに中小企業団体、商工協同組合、魚商組合などのリーダーとなる同氏は、
買出人の地位向上にはかりしれない功績を残された水産界の偉人ともいえる人です。
いっぽう、これを受けて立つのが、あらたに魚市場組合の理事長となった田口達三氏。
魚問屋をまとめて初の単一会社東京魚市場㈱をつくり、戦後は現在の築地魚市場㈱を創立、
この人の足跡がそのまま戦前戦後の魚河岸の歴史であるといえる、まさに魚河岸の巨人。
偉人と巨人、二人の達三の激突は前代未聞の不買争議へとなだれ込み、
やがて東京市民をも巻き込んだ社会問題へと発展いたします。








