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築地魚河岸昔がたり(61) 不買争議(その五)

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    築地鉄骨祭り(昭和七年)
 
 
不買決行によって買出人の姿は築地市場からすっかり消えてしまいました。
かれらが大挙して向かった先は横浜、大森、北千住の近隣市場。
トラックで、自転車で、徒歩で、目的地を目指します。
川崎では買出トラックの大渋滞で警察隊が出動する騒ぎに、
また、横浜市場では築地市場から来ていた監視隊と買出人連合会が衝突、
大乱闘を演じて負傷者を出すというハプニングも起きます。
 
 

しかしながら、まさに漁夫の利を得たというべきは近隣市場でございまして、
普段に倍する売上を数え、とくに千住市場にいたっては五倍の利益を生みましたから、
各市場は「沈静化を望む」と言いつつ本音は「もっとやれ、もっとやれ」だったでしょう。
 
 
八月十四日より起こった不買争議は、十五、十六日とさらに拡大し、
買出人の同盟の強さを天下に示すこととなりました。
このままでは一大事と、時の荒木孟市場長は魚市場組合、買出人連合会それぞれを訪問し、
意見交換を重ねますが、双方すこぶる強気で、耳を貸すそぶりもございません。
魚市場組合などは完全に頭に血がのぼり「あいつらとってもヒドイんだよ」というような
声明文を出して、「本当に直売りするからね」と脅しをかけます。
これではまったく手のほどこしようがない。
そこで荒木市場長は一度手を引いてしまった調停人らに再度の調停を依頼します。
改めて佃政、宮田、安藤の各氏を正式な調停人として、これに五大都市の買出人代表、
青果小売連合会長の大沢常太郎氏が加わって、事態終結に向けて必死の奔走をいたします。
 
 
不買も一週間ほどでヤマが見えてまいりました。
日が経つにつれて買出人としても生活問題にかかわってまいりますので、
まずは鮨屋、料理屋連中が抜け、次に小売商も不便を唱え始めるなど、
次第に足並みが乱れることとなります。
今がチャンスとばかり調停人の真剣な説得がようよう功を奏しまして、
双方ともに振り上げた拳をようやく下ろそうかなという雰囲気になってまいりました。
とくに買出人連合会はやることはやったわけでございますから、
不買も十二日目の八月二十六日をもって終わることとなりました。
もっとも、そこに至るまでも、すったもんだは続き、元市会議員早川庄太郎氏が
佃政氏と買出人連合会の間に入って必死にとりつくろったとも言われております。
 
 
まあとにかく仲直りしましょうや、ということになりまして、
その頃ギンザコマツの裏にあった「松本楼」の二階大広間で手打式が行われます。
何もそんな大仰なことしなくても河岸流の手締めでも良さそうですが
そこは佃政氏を立てて、ひとつ親分の演出にお任せしましょうということになりました。
すると、これが実に古式豊かな儀式だったのでございます。
 

コメント

良いペースですね。大丈夫ですか?
でも、第六十話を昨日読んで、早く次が読みたくて堪りませんでした。
関係ありませんが、今度、鰻と穴子の薫製を作ろうと思いまして、先日スモーカーを購入致しました。今週末当たりに仕入れに行こうかなぁと。これもまた、楽しみです。

昔、河岸では冬になるとシャケ箱こわして焚き火をして、
その煙でみんなで燻製人間になるのが風物詩でした。
何ともタマランにおいだったそうです。

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