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築地魚河岸昔がたり(68)  築地市場建設の経緯

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          昭和七年建設中の築地市場
 
関東大震災によって魚河岸が築地へ移転しますが、
そこにつくられたのは急造バラックの仮店舗でございました。
名称も「東京市魚市場」といいまして、あくまでも仮設市場。
営業形態も旧来の日本橋魚河岸の商売を踏襲しました。
 

 
当初は市場敷地内の一部分につくられた仮設バラックで市場業務を続けつつ、
その周囲では近代的な中央卸売市場の建設工事を進めていく計画でした。
それが着工の遅れや、工事中にも次々に引き起こる騒動によって、
市場設備が完成後も依然としてバラック営業を続け、
結局、全業者の収容が完了するまで十年以上の時間を要してしまいます。
三百年余にわたって続けてきた魚河岸のしきたりを
中央卸売市場法というあたらしい枠組みのなかで再編成するための、
産みの苦しみにも似た混乱だったのでございますな。
 
 
中央卸売市場築地本場は敷地の払下げ価格の折衝が難航し、
その手始めとなる敷地内の埋め立てに着工するのは昭和三年三月のことでした。
河口を浚い、その土をサンドポンプで吸い上げて鉄管で送り込み、
秋風池、春風池の埋立工事が完了、昭和六年五月には地鎮祭が執り行われております。
 
 
さっそく建設工事にかかるべえか、というところで問題になったのが卸売場の形です。
かねて業界は店舗並列縦型の配置を要望していましたが、当局の採用したのは扇型でした。
これは鉄道による大量陸送を見込むと長いプラットホームが必要となることから、
直線ではそれだけの延長がとれなかったため、扇型のカーブで補うというものでした。
また、プラットホームに接して桟橋と卸売場を設けたときに
仲卸店舗まで荷物を効率良く運ぶには扇型が適している、と当局は説明しました。
 
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          汐留駅からの引込線ができる
 
 
しかし、それでは営業に支障が出る、として業界が反発します。
扇型にすると売場内の区画ごとに仲卸店舗の面積が異なってくるので、
好悪条件の著しい格差が出てきちゃうじゃないの、という声があがります。
つまり、でっかい扇状の土地をどうやって区分けしても
タテヨコ同じ大きさには切れないよね、てことです。
 
 
この問題はだいぶモメたのですが、結局当局が原案通りの扇型を決行しました。
これによって現在のような市場の形となったわけでございますが、
予想通り、場所によって店舗間の面積等の格差が生じることになりました。
そこで、各仲卸業者の不公平を除くため、
数年に一度(最短1年、最長8年、平均すると5.5年に一度)店舗移動を行ないます。
これは全仲卸店舗のシャッフル的な引越しで、わずか1日、2日のうちに
大移動を行なう、という巨大イベント。
これまで18回実施されており、要した費用は都合三千両。
いやはや大変なものです。
 
 
さて、市場の形が決まりますと、本工事も急ピッチで進み
魚類卸売人売場、魚類仲買人売場、青果仲買人売場と着々と完成。
一方で中央市場はこれまでの商工省から独立した機関となり、
前東京市助役の荒木孟が初代市場長に就任いたします。
 
 
昭和八年十二月、工事もめでたく完了し、業者の収容となるはずでしたが、
どういうわけか誰も這入ろうという者がありません。
前にも申し上げた通り、卸売人の単複問題で市場内は揉めに揉めておりまして、
とても中央卸売市場としてのスタートが切れる状況ではなかったのですね。
 
 
「何でもロンドンで中央市場をつくったとき、業者が四十年も収容に応じないで
しまいにゃあ市場にペンペン草が生えたそうだ。外国でもそうなんだから、
オレらだって簡単に収容に応じる必要はねえよ」などということを言い出す業者もいて、
自分らの権利を守ってくれなきゃ中央市場には這入らないという具合に、
せっかくの近代設備が整っても、相変わらずバラック建ての売場から出ようとしません。
 
 
十二月十三日、千発の打ち上げ花火と賑やかに繰り出す楽隊の伴奏に送られ、
中央市場竣工式が華やかに挙行されます。
しかし、そこに肝心の魚河岸関係者の姿はありませんでした。
「市場開設権は市にある」との東京市長の発言に反発した組合のボイコットでしたが、
記念すべき築地市場の船出は実に淋しいものとなってしまいました。
 

コメント

ご無沙汰致しております。
ぼんやりしているうちに、早くも2話upしているとは!
以前、「東京市中央卸売市場築地本場・建築図集」を見たことがありますが、竣工当初の市場は本当に奇麗で堅牢。
世界に誇れる施設であったことが容易に推察出来ます。
会議室などの付属の施設も大正から昭和にかけての建築によく見られる良い雰囲気のものだったことが印象的でした。

実は、仲卸棟やセリ場だけではなくて、こういった2階や3階?にあるスペースや周囲の建物の中も見てみたいなぁと思っております。
市場が移転して無くなってしまうのなら、せめて記憶には留めておきたいものです。
一般人は、こういった場所に入ることは出来るのでしょうか?もし、手続きなどがあれば教えて頂けないでしょうか?

魚丸様、こんにちは。
卸売場の二階、三階に入るのに、特に手続きはないですよ。
歩いていても咎められることはないです。
正門側から見て左側から卸会社が並んでいて、右側は東京都の事務所があります。
「建築図集」そのままの建物で、昭和初期のモダン建築というか、
アールヌーボーな風情がいい感じです。
床屋もあります。魚屋っぽい髪形にしてくれると思います。

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