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築地魚河岸昔がたり(73) 払込金をめぐって

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           当時の新聞記事
 
 
査定委員会の決定した各店舗の問屋営業権の査定額は、
一切口外しないということになっておりました。
もしも不服があっても再査定は一切しないということになっておりましたし、
そうしなければ、いつまでもゴタゴタが収まらなかったからです。
そこで業者一人ひとりに査定額を免状のように手渡しました。
 
 
ところが、一日もするとそれぞれの査定額は市場の誰もが知るところとなり、
自分の店と他人の店を比較して、あそこは年期が浅いとか売上高が少ないとか、
オレよりもアイツの方が多いのはどういうわけだ、と大変な騒ぎになります。
自分の店の額に不満をもらすのではなく、「アイツのところは多すぎるんじゃねえか」と
他人のことばかり文句をいうのは、閉鎖社会魚河岸らしい言い回しでしょう。
 

 
少しでも多くの補償金をもらいたいのは当然なことで、
市場内はてんやわんやの騒ぎとなります。
ところが会社創立にあたって、出資金を出す段になると騒ぎはぴたっと収まります
紆余曲折の末にはじきだした営業権総額二千二百万円。
このうち現金出資が五百五十万円。
その半額の二百七十万円が払い込みで、残りを株券での受け渡しとなりますが、
現物出資のうち二十五パーセントを出資金として現金で持ち寄ることに決まったからです。
つまり五十万円の査定額を受けた者は、十二万五千円を現金出資しなければなりません。
 
 
当時の平均魚価は一貫目九十五銭くらいで、
市場の年間売上が五千万円足らずというくらいでしたから、
魚市場会社の五百五十万円出資は膨大なものでした。
しかも卸売会社となると、すべて委託によるせり販売。
手数料は公定の率しかとれないことを考えると、あまりにも過大な額でした。
「査定通り振り込めない」という声が続出してまいります。
早い話がそんなに儲かるのかい? ということで、
いつ配当できるか判らない会社に現金払込みなんてできない。
権利はただ取られ、株券なんて紙屑じゃないのか? なんて不満まで出てくる始末。
実のところ、委員長である田口氏本人ですら、自分のところの査定額二十万円に対する、
五万円の払込みも出来ずに他から借りなければならないという状況でしたから、
ほとほと困り果ててしまいます。
 
 
その頃、兜町でたいそう幅を利かしていた南波礼吉という人と、
米穀取引所理事長の早川芳太郎という人がいました。
田口氏はこの二人の大物に相談にいきます。
そのとき早川氏の助言は、
現金出資五百五十万円の半額、二百五十万円を会社設立時に払い込まなければならないが、
これは私の方で心配してあげるから、株を売りなさい、というものでした。
一株五十円としても五十五万株になります。
そのうち八万八千株を一株二十円で売ることとしました。
五十円が二十円とはばかに安いのですが、それでも紙屑同然とまでいわれるほど、
先行き不透明の会社ですから、まあ、これくらいで売れれば良いや、という考えでした。
 
 
「おいおい、株屋や米相場師に会社を乗っ取られるんじゃないか」
外部の者は一切入れないという話なのに株を売れとはどういうことだ、
と不満の声が上がります。
「だから八万八千株におさえているんです。それ以上の売り希望があれば私が引き受ける」
「ふざけるな、そんな金がどこにあるんだ。大きなこというな」
「金があろうとなかろうと、買えばいいんだろう」
 
 
こんなやり取りもあり、売り言葉に買い言葉で見得を切った田口氏。
しかし、フタを開けてみれば、案の定、十一万株もの売りの申し込みがありました。
「あんたが買うと言ったじゃないか」
仕方なく田口氏はとあるところから借金をして、二十円で四万株を買うことになります。
 
 
まあ、これで業者の払込みの件は何とかなった、あとは現金出資の二百二十五万だ。
というところに早川芳太郎氏がとんでもないことを言い出します。
「金? いや、オレなら持ってないよ」
その言葉をきいて、田口氏が思わず椅子からころげ落ちそうになったのは、
会社創立総会のわずか二週間前のことでした。