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築地魚河岸昔がたり(74) 日本で14番目の大会社

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    築地市場開場を伝える新聞記事
 
魚河岸の問屋が集まって卸売会社をつくる。
ひと口に言えば簡単そうですが、昭和十一年当時、
資本金二千七百五十万円の会社といえば、日本で十七番目の会社だったといいます。
もっとも大半が現物出資なので額面通りとはまいりませんが、
それでも現金出資が五百五十万円といえば大したものでした。
その頃、都市銀行の資本金が大体五百万円くらいだったそうです。
それまで法人組織などには無関係だった魚屋連中が、
いきなり日本を代表する大企業になったのですから大変なことでございます。
 

 
何しろ大会社だといってみても、まずは現金出資の五百五十万円のうちの半額、
二百二十五万円の最初の払込金をどうやってつくるのか、その難題に頭を抱えこみました。
 
 
「金は借りられることになっているから大丈夫だ」
田口氏は会社の創立委員の人びとに心配かけまいと明るくつとめますが、
しかし本当のところまったくメドがたってはおりません。
創立総会まであと二週間、胃の腑に鉛のような重みを感じながら、
何とか金を工面しようと奔走いたします。
 
 
そんなとき助け舟を出してくれたのが、
当時大同電力(現関西電力)の社長であった増田次郎氏でした。
魚市場会社の誕生にいたく興味を持って接します。
 
 
「直接家庭につながる必要物資を扱うのだし、
法律だって会社が成り立たないように決めるのでもないから、この仕事は大丈夫だ。
金は相談に乗ってあけるから、一生懸命やりなさい」と言ってくれます。
 
 
やれやれ。これで何とかなる、とひと安心したのですが、いざ払い込みという段になると、
「魚河岸には会社経営の経験者は少ないだろうから、私の方にも条件がある」
と秘書を通じて伝えてまいりました。
副社長か専務を一人、常任監査役を一人、会計課長を一人、平取締役を二人程度、他二名
都合七人を増田氏側から送り込むという条件を提示してきたのです。
魚市場会社は、外からは一人も入れないという大方針でやっていましたので、
二百七十五万円は出すから七人入れろ、という主張に田口氏は返答につまります。
 
 
「何も会社を乗っ取ろうというんじゃない。
 一人で二百七十五万円を出すのだから、業務を監督したり、会計を監査したりするのは、
 当たり前じゃないか」
増田氏の言い分はもっともではありましたが、結局、この話はお流れとなってしまいます。
 
 
いや、困った。本当に困った。どうしよう。
六月二十五日の魚市場会社創立総会まで、もう日がございません。
と、そこへ飛び込む一本の電話。
「あゝ、私だ。早川だよ」
何と、前回このお話でドタキャン決め込んだ早川ビルブローカー氏が
今度はドタコールをかけてきたのでございます。
「いよいよ私の出番ってわけ。
 名案があるんだけどさあ、長くなっから、くわしい話は次回につづくってことで」 (つづく)