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2007年06月27日

築地魚河岸昔がたり(77) 第二回不買争議(その一)

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すぐに単一合併することを前提として創立した二つの卸売会社。
卸の単一制を唱える魚市場会社は資本金の上では日本で十四番目という大会社。
一方、魚問屋会社は、単一に反対し複数論を唱えて袂を別った組合員で結成されました。
これを無理に合併させようとしても、うまくいく道理がありません。
しかし、ファッショへと向かう時代の流れは、
市場業者間の自然解決を待つ時間的な余裕を与えはしませんでした。
単一企業による独占集中を促進させることで、
国家が市場を監督統制しょうという狙いがそこにはあったからでございます。


背後には戦時国家の影が見え隠れしていましたが、
表面的には魚市場会社と魚問屋会社との小競り合いは感情的なものでした。
 

 
単複問題は、統制経済へと移行していくなかで政府の単一への方針が打ち出されましたが、
もともとは業者間の思惑で争われたのであって、
何ら市場流通のあらま欲しき形を論じるものではございません。
市も商工省もはじめは複数でもかまわないよ~ん、という曖昧な態度を取ったので、
そこを突いて、複数派は単一派が魚市場会社設立の準備中に
自らの魚問屋会社設立をやってしまう、という奇襲に出たのでございます。
市も複数卸会社を認めるようなことを言った手前、これを無許可にすることも出来ず、
「認めますけどお、あとでアチラができたら一緒になって下さいね」
なんて微妙なことを言います。
 
 
一方、魚市場会社も黙って指をくわえていたのではなく、何かと妨害行動に出ました。
営業許可を取り消すように市に工作したり、荷をめぐって乱暴なことを行なったり、
単一強制に疑問を持っていた当時の荒木市場長を、有力政治家を動かして免職に追い込み、
徹底した単一強硬派の近新三郎氏を市場長に据える、画策をしたなどといわれます。
 
 
これらの所業が腹に据えかねた魚問屋会社側はすっかりと意固地になってしまいます。
「あんな連中の思う通りにはさせねえぞ!」と、いきり立ち、
まずは当初の合併期限として定められた四月十一日を軽く無視して、
合併拒否に向けて既成事実をつくろうと、営業実績を着々と積み上げてまいります。
 
 
すると、そこにあらわれたのが、丸顔の温厚そうな顔立ちながら、
眼鏡の奥にギラリと凄みを見せるあの人物。
「そう、ワシじゃよ。塩澤じゃ。」
東京鮮魚買出人連盟の大ボス、塩澤達三氏でございます。
「やっとるね! いや結構、結構!
 ワシんとこでも及ばずながら力を貸そうじゃないか。
 何しろこのブログの第62回でリベンジ宣言をしたのに、作者が脇道ばかりそれて、
 なかなか出番が廻って来ないのでイライラしておったところじゃからな。」
 
 
さらに、やってまいりましたのは日本を代表する婦人運動家市川房枝氏です。
「市川です。婦人参政権に一生を捧げたわたくしといたしましては、
 このたびの独断的な政府、市場当局の横暴は看過できぬものがございます。
 ということで特別出演いたしましたが、このあと出番はなさそうなので、
 これで帰ります」
 
 
まったく千客万来の魚問屋会社事務所。
買出人団体と婦人団体の力を得て、まさにパワー千万倍!
「いっちょ、やったるかあ!!」とキアイを入れる魚問屋会社の……誰だろう?
誰だか知らないが代表の人は、
ついに政府と市場を相手取っての大騒動を開始するのでございます。
 
 
「え、うっそお、何ソレ、うむむむむ許せん!!」
魚問屋会社の動きに誰よりも怒り心頭に達したのは、魚市場会社の田口氏でした。
「なあんなんだアヤツらは、ええ! 国の命令に背く不届き者!!」
というところで、両社陣営大いに気勢を上げることなり、
これから築地市場誕生の最後の大立ち回りがはじまるのでございます。
 

2007年06月26日

Katz

日曜日の昼下がり、友人からもらったチョコの缶を開けて、
そいつを食べながら、寝そべってDVDなど観ていた。
 
 
ふと見ると、目の前にチョコがひと粒ころがっている。
缶から飛び出したんだろう。
気にせずに口に入れようとしたけど、何かおかしい。
これウンコじゃないの。
 
 
でも、部屋の真ん中にウンコが落ちているのもシュールな話だし、
ためしにボールペンの先でつついてみたら、
転がり方がやっぱりウンコみたい。
 
 
しかたないので、ちょっとだけさわってみた。
どうにもウンコっぽい。
で、今度はそいつを鼻先に持ってきて臭いをかぐと、
まさにウンコ。
 
 
……こんな時こそ自制心が必要だ。
   少なくとも昨晩R.チャンドラーを読んで寝たので、
   頭は比較的クールに働いているようだ。
   ここはむしろ強気(ブル)で攻めるべきだろう。
   人生は時に逆張り(コントラリアン)で挑む姿勢も必要なのだ。
   火中に飛び込む者にこそ聖杯が得られるというじゃないか。
 
 
チョコかウンコかは食べてみればわかる。
そう私が意を決したとき――ヤツと目が合った。
 
 
 うわああああ……あ!
 
 
不意に我に返って、洗面所にかけこむと、
ハンドソープで何度も手を洗い、さらに念入りに消毒液をかけて、
タワシでゴシゴシこすって、さらにまた石鹸で洗った。
なんてこったい! 危なくご馳走されるところだ!
 
 
ヤツが家に来てから10年このかた、私は何度もたぶらかされてきた。
そればかりか、年齢ごとに、そのふてぶてしさも増してきて、
近頃じゃあ、ヤツの尾の先はふたつに割れてきているのだ。
 
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2007年06月25日

築地魚河岸昔がたり(76) 魚河岸のM&A

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田口氏の必死の金策によって、
東京魚市場会社は昭和十年六月二十五日に創立総会を無事に終えることができました。
実際の営業は翌年一月からとなりますが、
名目上は魚河岸の問屋合同による卸売会社の誕生とあいなったわけでございます。
 
 
一方、東京魚市場会社の発足と相前後するように、
田口氏らの単一制反対を唱えて袂を別った組合員合同によって組織された
東京魚問屋会社も発足しております。
当時の中央卸売市場の趨勢として、卸売人単一の動きが進むなかで、
築地市場では、近い将来の合併を条件として、
ふたつの鮮魚卸売会社ができることとなりました。
つまり、魚市場会社と魚問屋会社との合併問題が、
長らく続いた中央卸売市場の単複問題の最後のヤマ場となりました。
 

 
卸売人の単一制に強い意欲を見せたのは当時の商工省で、
両社の合併を前提とする発足も商工省の考えによるものでした。
開業後六ヶ月以内に単一合同する旨の一札を両社からとっています。
しかし、このときの覚書に対して双方の会社で温度差があったことは問題でした。
魚市場会社はそもそも単一をめざしていたので、躊躇いたしませんが、
魚問屋会社の方は「各問屋が魚問屋会社に収容後の状況によって、合併は強制しない」
という決議を、株主総会で決定しております。
商工省の覚書にしたがえば、昭和十一年四月十一日が、両社合併の期日でしたが、
何の進展もないままに過ぎていきました。
 
 
魚問屋会社は、規模でこそ魚市場会社の数分の一でしたが、
荷物を受ける権利は同等でしたし、少数ゆえの小回りの良さも味方して、
予想以上の営業実態をあげます。
こうなると魚市場会社に吸収されるのはどうしても避けたい、ということになります。
市場当局からの再三の合併勧告にめげずに、
ひたすら時をかせいで、複数制の既成事実をつくろうとねばりました。
するとそこに、もとから複数制を支持していた買出人団体が参戦してまいりますと、
全国連盟の大会など開いて気勢をあげます。
さらに山田わか、山高しげり、市川房江ら婦人団体が参加してきたことから、
築地市場の単複問題は市会でも取り上げられることとなり、
次第に容易ならざる事態となってまいります。
 
 
さて、他の中央卸売市場では、とうに単一の流れになっていて、
京都、大阪、横浜などの各市場では単一卸売会社が発足しております。
それらは多少の紆余曲折はあれ、自然な流れとして結束したものでしたが、
最後に残った東京だけが、その決着をみないまま、こじれていました。
この時間の差が、結果的に築地市場にとっては不幸な方向づけを生むことになります。
 
 
昭和七年、上海事変により満州国が成立。
軍部の独走による暗い時代の幕開けとなります。
魚河岸が単複問題や板船権でもめている頃には、
時の犬養首相が海軍士官によって射殺される「五・一五事件」が勃発しています。
ファッショ勢力はほどなく市場行政にも影を落としていきます。
 
 
ファシズムの台頭は、経済恐慌のなかから生まれたなどともいわれます。
景気建て直しのために軍事費を増大させていくことで、
必然的に国家独占資本主義へと移行していきました。
その方向性のなかで、企業の独占集中が進められたという面があり、
商工省の狙う単一制はいわば、国家権力による統制経済への前段階とみることができます。
 
 
魚市場会社の業務開始から一ヶ月あまりたった昭和十一年二月、
昭和史を塗りかえる大事件が勃発します。
陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが千四百名の兵を率いて
「昭和維新断行・尊王討奸」をかかげて起こした反乱、いわゆる二・二六事件です。
これを契機として起こった軍部の政治、経済への介入は
そのまま市場行政に反映してくることになるのですが、
そのような状況下、築地市場では単複問題の最後の闘いが火ぶたを切ろうとしておりました。
 

2007年06月13日

ふくちゃんのウイルス

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     伺だか ペソコンの調孑がわるいです
 
 
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      アタクシの調孑もわるくなりました
    これはコンピュー夕ウイリスに偉いありません
 
 
 
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     ウイリスソフトをイントスールしますので
     これでウイリスをふきとばしてください
 
 
 
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        アタクシをなぜ ふきとばしますか

2007年06月08日

ふくちゃんの合コン

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     今目は侍ちにまった合コンです
 
 
 
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    ストライクのひとがいるか薬しみです
        ワクワクしています
 
 
 
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              あ
 
 


 
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             にゃあ!
 
 
 
 
 
 
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        ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・
 
 

2007年06月04日

ふくすけ祭

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             わっしょいですか

2007年06月01日

築地魚河岸昔がたり(75) 薄氷を踏む思いで

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「まあ、私は相変わらず金は出さんのだがね。
 北拓ってあるじゃん、北海道拓殖銀行……けっこう大銀行だよ。
 いや、決して破綻なんてしないから心配はいらないよ。
 そこの親爺に話を通しておいたから行ったらいいよ。
 いやいや、大丈夫、大丈夫」
 
 
「本当かなあ……」
早川氏の言うとおりなら、願ってもない話です。
しかし、北拓銀行といえば札幌に本社を持つ銀行。
東京支社に話を持ちかけて、大金を融通してくれるものかどうか不安でしたが、
何しろ時間がない。
まあ当たって砕けろとばかりに、出かけていってそこの支店長をたずねると、
かれの言うには……
 

 
「え? 聞いてないっすよ」
 
 
やっぱダメじゃん、全然ダメ。んなもん貸すわけねえよなあ。
てえか、どうしよ、総会まであとわずかだしぃ、
それに話が止まっちゃって、このブログ全然先進まないの、どーするの?
ひたすら困惑を続ける田口氏。
と、そこへ、またしても早川氏からの電話が……
 
 
「どお? ザックリ借りられたあ?
 え? 貸してくんね? うっそおーっ!
 言ったよ、オレ、ちゃんと言ったからねー うそじゃねーよ!
 ま、貸さねえていうんじゃ、しょーがないよねー。じゃあまた……」
 
 
もうこんなことしていても埒があかないので、総会の準備を進めていきます。
もしも当日、払込金がない、となれば、腹を切るしかないかなあ、
と、田口が恰幅の良いお腹をさすっていると、またしても早川氏……
 
 
「いやいやいや、結構イケてる話。
 北拓の裏手に北門銀行ってのがあるから行ってみな。
 そこの親爺は頭に毛がないが心臓に生えているから、きっと融通してくれるよお。
 いや、良かった。ほんと良かった。今度一杯飲ろう!」
 
 
二度あることは三度ある、か、それとも三度目の正直か。
いずれにしても藁をもすがる心持ちで、この誘いに乗るしかありません。
北門銀行は北拓銀行の子会社で、そこに相談しても、ちょっと望み薄かと思われましたが、
訪ねると、エビス顔の頭取が奥から出てきて、頭をペチペチ叩きながらこう言います。
 
 
「会社の創立といってもキミィ、何も大金払い込まにゃならんものでもないさナ。
 銀行から払込み当日だけ金を借りて、その預金通帳を持って行ってだねえ、
株主に報告したら、またすぐ返せばいいじゃないの。
こいつは預け合い勘定というんだな。
二百七十五万円、アタシが三日間だけ貸したげるから、小切手お書きなさい……」
 
 
何だか、よく分からないが、これでうまくいった、
田口氏はようやくほっと息をつきました。
ところが朗報を持って組合事務所へ行くと、すぐに創立顧問をやっている
本多弁護士が青い顔をして飛んできます。
 
 
「北拓が断ってきているのに、こんなやり方は危ない。
 預け合い勘定って、田口さん。あんたこれは商法違反だよ。」
 
 
本多弁護士は六法全書を机にひろげて、一所懸命に説明します。
もういちど早川のところに行って交渉しなさい、と説得しますが、
田口氏はこれを頑としてはね返します。
 
 
「それはそうだろう。しかし今そんなことをいっても他で金ができるわけじゃない。
 何といわれようと創立総会は乗りきる。
 預け合いだか何だか知らないが、ここにちゃんと金はあるじゃないか。
 あんたは報告してくれればいい。あとのことは一切私が責任をもつ。
 そうしなければ卸売会社は生まれないし、このブログも先に進まないのだ!」

「そ・それならば、仕方ないですね……」
 
 
一切の責任をとる、と腹をくくった田口氏は、後にその責任を問われることとなります。
しかし、悪戦苦闘の末、ようやく会社創立へと準備が整いました。
それは創立総会前日の六月二十四日のことでした。