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2007年07月03日

築地魚河岸昔がたり(78) 第二回不買争議(その二)

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               困っている
 
 
魚市場会社と魚問屋会社の合併問題のこじれは、
業者間で辛抱強く解決すべきことではありましたが、
時代はそれを悠長に放っておいてはくれませんでした。
単一合併がこのまま進まないのであれば、
市場の監督統制を乱し、業務の円滑な遂行に支障をきたす、として
東京府、東京市、商工省は強行手段に出ます。
 

 
戦前のこの時期、日本の資本主義は弱まって、軍部は財閥と手を結びます。
それをせっせと後押ししたのが経済官僚たちですな。
軍部が天皇絶対を看板にするのに倣って、官僚は国家の権力を売りものにします。
この権威を犯すものは、何者でも叩き潰す、と鼻息を荒くしていましたから、
市場業者のことなんぞはおかまいなしです。
 
 
国家の方針としては単一である。
二社のうち一社が賛成しないなら、法的手段に訴える、として、
昭和十一年六月十一日、ついに東京府知事の名で強制合併命令が出されます。
魚問屋会社は魚市場会社と合併をすること、
六月三十日までに株主総会を開き合併決議をすること、
それを行なわない場合は七月一日以降、業務許可の取消しか停止とする、
という内容で、両社に指令いたします。
 
 
もとより合併を望む田口氏の魚市場会社は、
この指令通りに六月三十日の株主総会で決議し、準備万端ととのえておりましたが、
一方の魚問屋会社の方は、「バ~カ!」といってシカトしてます。
府の指示には疑問が多いし、そんなの従えるかよ。
ま、ウチは総会を七月十七日に延期ってことで、ヨロシク。
どーせ、業務取消なんて出来るわきゃねえよ!
 
 
などと、タカをくくっていましたが、
案の定、市場当局には業務取消の命令を出す度胸はありません。
アイツらどうなんだ! 言うこときく気があるのか?
ところが、これは魚問屋会社側の時間かせぎ作戦でございまして、
この間に塩澤氏率いる鮮魚買出人連盟が関係団体に働きかけ、
合併反対! 消費者を守れ! の声を全国的に盛り上げるとともに、
七月八日には、東京において買出人の全国大会を開き、大いに世間の耳目を集めます。
それに呼応するように、青果小売商や婦人団体が同調し、市会に働きかけたことで、
問題が一気に表面化、連日、新聞各紙上を賑わせる大騒ぎとなりました。
 
 
こうなると、かえって府も市も一方的に強硬手段には出られません。
かといって、そのまま放置プレーというわけにはいかない。
それでまあ、十七日まで待ちましょうや、ということになります。
しかし、この十七日の総会でも、魚問屋会社側は平気の平左で合併決議を無視します。
本当は会社役員の中には、どうも役人らの言うことをきいて、
長いものには巻かれた方が良くね? と考える者もいたようですが、
なにしろ助っ人に入った塩澤氏の勢いに押されて、いわば引っ込みがつかなくなります。
 
 
「大体さあ、日本橋からこっちに来たときだって、何度も移転命令が出たけど、
結局延び延びになったじゃん。あれって偶然震災があったからこうなったワケ。
てえか、このまま引き延ばしてりゃ、そのうちウヤムヤになるしぃ……」
 
 
なんてことで、これだけ騒ぎを起こしたんだから、当局が強硬策に出るなんてない、
とやっぱりタカをくくっています。
しかし、そこのところを少しばかり読み違えておりました。
普通やらないよね、ということも、ファシズム下の日本においては
権力の名の下に平気でやれてしまうわけです。
東京市はシカトされた後も何度か説得をいたしましたが、
魚問屋会社に指令遵守の意志ナシとはっきりしたところで、キレます。
 
 
「業務停止!!」
 
 
ナメんじゃねえ! とばかりに、魚問屋会社に対して八月十五日から九月十三日まで、
一ヶ月間の業務停止命令を申しつけます。
「マジかよ……」
まさかそんなことしねえだろ、と思ってた魚問屋会社幹部にとっては寝耳に水。
青くなっているところへ、塩澤氏がやってきて言います。
 「これって想定内よ。ま、本当にやるとは思わなかったけどね。
  でもこれで次の手が打ちやすくなったよ。」
 「次の手って、アンタ、何しようっての?」
 「決まってるじゃん、不買争議だよ!!」
 

2007年07月05日

マチガイを六つさがせ

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2007年07月09日

カジキマグロ

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             カジキマグロ
 
カジキマグロなんてマグロはいないよ。
カジキとマグロは全然別の魚だ。
てな、ことはよく言われるけど、
じゃあ、似ても似つかない魚が何で一緒くたになったかというと、
これが何と、昭和29年のビキニ環礁の水爆実験がきっかけなんだな。
 
 
第五福竜丸が死の灰を浴びて、乗組員が被爆してしまった大事件だ。
このとき漁獲物のカジキ類、マグロ類も一緒に放射能に汚染されたんだけど、
大騒ぎしたマスコミが、
「死の灰を浴びたカジキマグロが……」と報道してしまってから、
この通り名が浸透しちゃったそうだ。
ちぇっ、ウンチクだよ。

2007年07月11日

日本橋魚市場沿革紀要

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自分でもうすうす感じていたのだけど、
このブログは魚河岸の歴史探訪なんぞをテーマにしたものなんです。
 
 
根が不真面目なので、あまりハードな歴史記述もできず、脱線も多いのですが、
ここで登場する変テコなお話は、あらかた本当のことばかりで、
魚河岸は昔から面白い場所だったと、つくづく思います。
 
 
魚河岸の歴史研究、ていうか、面白話の発掘なんですが、
こういう風変わりな作業を応援してくださる人もいたりします。
このあいだ河岸の先達さんに呼ばれて行くと、
「お前さんにこいつをやるよ」と、和とじ本を手渡してくれました。
 
 
『日本橋魚市場沿革紀要』
魚河岸に残る史料を年代記風にまとめた、
魚河岸研究のいわば原典というべき本です。
たまに古書市などで復刻版が出回ることがあるけど、
原本揃いぶみなど、なかなか手にできるものじゃございません。
 
 
「かようなる稀観本を託されるなど、先達、
それがしをさぞや見込んで下さっての所為とお見受けした。
この御恩、必ずや玉稿にかけて報いとうござりまする……」
 
「いやいや、そうじゃねえんだ。こないだ蔵書の虫干ししてたらダブって持ってたんだ。
本も処分しなきゃならねえから、オメエに呉れてやるよ」
 
 
ということで、遅ればせながら
大切なご本を頂戴いたしましたことを御礼申し上げます。
由緒正しき名著に恥じぬように、
このブログも、もうちっと襟を正して、ちゃんと書いていければ、と思っています。

2007年07月17日

ふくちゃんの入隊

          これでいいのですか
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        このように なぜしますか
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            やせました


2007年07月21日

お山行

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広重などの江戸風景画では北は筑波、西には富士を描くのがお約束。
エディストには筑波山って気になる存在だわな。
 
 
積年の思いを遂げるべく、お休みもらって、山歩きに出かけた。
何しろ、つくばエクスプレスで1時間で着くんだから、スゴイ便利。
「つくば」駅から小1時間ほどバスに乗って山の入口に到着。
ウグイスが耳元で鳴いている。
自然のなかに在ることが不自然になってる身体がちょっとびっくりして、
木々の香を深く吸い込んだら、軽くめまいがした。
 
 
見上げる山道に威風堂々と建つのが筑波山神社。
石段を登り切ると、まず目に飛び込んでくる奉納「魚河岸」の文字。
こんなところでまで河岸は目立ってるじゃないの。
昔から魚河岸は講が盛んで、あちこちの寺社に奉納品が見られる。
信心にかこつけて、物見遊山で楽しむ、落語の『大山詣』みたいな話は、
つい最近まで、市場にはよくあった。
 
 
軟弱者なので、ここから山頂まではケーブルカー。
晴れた日は展望台から東京が見渡せるらしいけど、そんなものはいつも見ている。
それよりも、山腹から流れてきた雲に身体が包まれるのが面白くて、
深呼吸すると、煙みたいな雲を食べている気がした。
 
 
夏休み直前ということで、どこもガランとしていて、
帰りのロープウェーはカミさんと二人で貸切状態。
ちょうどいい時に来たみたいで、見るもの触れるもの、みんな楽しい。
 
 
なんとなくだけど、いつかこっちに住んでみたいと思った。


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       日本一のガマ大明神

2007年07月24日

夜嵐阿絹花廼仇夢・其ノ壱-よあらしおきぬはなのあだゆめ・その1-

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市場の古今の逸話を集めていますと、
ひょんなことから興味深いお話に出くわします。
魚河岸にちょっとした関係があるので、ネタ帳に記しておくのですが、
『野郎』の歴史アーカイブに載せるでもなく埋もれてしまうものも多くあります。
 
 
たまにはそんな内から、ひとつお話しましょう。
 
 
夜嵐お絹
といえば、高橋お伝、花井お梅と並ぶ明治三大毒婦としてつとに有名です。
色情の果てに石見銀山で旦那を殺す、というまさに毒殺の定番を確立したお方ですな。
石見銀山なら近頃、目出度く世界遺産に認定されまして、
かつて日本が世界有数の資源国であったことに思い至る次第でありますが、
銀もさることながら、この地名を冠した殺鼠剤「石見銀山ネズミ捕」は
お絹さんの名と共に全国に知れ渡ったのでございます。
 
 
古来、毒婦といえばイイ女と相場が決まっておりますようで、
このお絹さんもすこぶるつきの美貌だったそうです。
明治五年に小塚原で処刑され、首を晒されるのですが、
その晒し首がスゲエ綺麗だ、と当時の新聞が書きたてたほどでございます。
 
 
本名は原田きぬさんと申しまして、相州は城ヶ島の生まれ。
十六の春に江戸に出てまいりまして、鎌倉小春の名で花柳界デビューいたします。
すると愛らしい容子で江戸中の評判を集めました。
そんなことから、安政三年、下野国三万石の大久保家城主に見初められ、
お絹さんは見事玉の輿に乗るのでございますな。
そして、ほどなく世継を産み落とすのですが、この幸福は長くは続きません。
大切なお殿様が急死してしまいます。
用なしとなったお絹さんはわずかな手切金で大久保家を放逐されちゃうんですね。
一説に愛欲乱交の行状によるとされますが、本当のところ、いかような事情かは知れません。
ただ、維新の混乱の世に女一人、放り出されることとなったのです。
 
 
わずかな手切金もすぐに底をつき、困窮の身で頼るは、やはり身代持ちということで、
今度は金平という、名前の通りの金持ちで金貸しの妾として、浅草猿若町に囲われます。
この金平さんというのが、結構なジイサンなのですが、
年齢を感じさせぬ性欲とさまざま趣向を思いつくアイデアを兼ね備えた
スーパーエロジジイだったから大変です。
「うへへえ……おきぬぅ……」と毎晩のことですから、これはたまりません。
でもまあ金はたんまりと呉れるし、我慢しておりましたような次第で。
 
 
けれども、毎晩ジジイの相手はまっぴら、たまには若い男と遊びたいハ、
と、お絹さんが思うのも、至極もっともでございます。
それで、猿若町といえば江戸後期より芝居町として栄えまして、
お絹さん好みのイケメン役者がそこいら中を闊歩しておりましたから、
今や浅草セレブのかの女は、金にあかせて男を買い漁るんですな。
金持ちの上に、もともと美貌で名を馳せたほどの女ですから、男どもも放っておきません。
さながら誘蛾灯に誘われる蛾のように我も我もと集まってまいります。
そうして若手役者を大人買いしては片っ端から食べ、そして夜はジジイ。
アラ、妾(アタシ)ってこんなに多情な女だったのかしら、と
自らのアイデンティティに疑問を感じたその時、
お絹さんの眼に一人の若者の姿が映りました。
それが森田座の嵐璃嘴(りかく)という眼元もきりりと涼しい
当世売出し中の超イケメン俳優だったんでございますな。
 
 
広い世界にただ一人、何故に貴男がこう可愛い……
すっかり岡惚れしてしまったお絹さん、慣れぬ恋文を認めるもいじらしいじゃござんせんか。
 
 
“なかなかにうとからましかば 命にかへてあひみてましと、なげき待たれし夕ぐれは
 秋風のみおとづれ、つらかりし鳥の音をひとり寝の床に待ちあかし
 枕の上のちりを、幾夜つもりぬとかぞへ……云々”
 
 
ところがここでイケメンの璃嘴さんの方も、実は密かにこのお絹さんに
一方ならぬ恋慕を抱いておったというのですから、うまくできたお話。
すぐにふたりは恋仲となり、密通を重ねることになります。
「ああ、妾は囲われ者、世間に顔向けの出来ない日陰者。
 けれどもお前の前では生娘(むすめ)のまま。
この身はジジイのものなれど、心は璃嘴さん、お前のものよ。」
「お・お・お絹、俺ぁ、アンタを離さないぜえ……」
とまあ、道なき恋の逢瀬を重ねる心持が、二人を熱く燃え上がらせるのでございますな。
しかし、そうは申しましても、不義密通は所詮結ばれぬ運命。
お前と添い遂げたい、と思えどもままならぬものでございます。
 
 
「いっそ、あのジジイをひと思いに始末してしまおうか……」
感情の高ぶりにまかせて、ふと口をついて出た自分の言葉に、
お絹さんは慄然とする思いがしました。
 

2007年07月26日

夜嵐阿絹花廼仇夢・其ノ弐-よあらしおきぬはなのあだゆめ・その2-

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「そいつあ、いくら何でも滅法界な話じゃねえか。」
「まったくだよ。いっそいめいめしいったらありゃしない。」


密かな逢瀬を重ねて想いをつのらせるお絹さんと璃嘴(りかく)。
しかし、そこに横恋慕いたしますのが、旦那の金平ジイサンでございます。
近頃、何かと世間の口に上る二人の間柄を放っておきゃあしません。


「なあ、お絹。役者買いは構わねえさ。たまには若えもんと遊ぶのも良い気散じにもなるってもんだ。だがな、お前、ここんとこ森田屋に随分と入れ込んでいるそうじゃないか。ええ。まさか本気じゃあるまい。忘れちゃならねえのはな、所詮お前は儂の持ち物だってことだ」


金平ジイサンは女中のお駒に言いつけて、お絹を家から出さないようにします。
自由のきかなくなった二人、それでも監視の目を盗んで璃嘴と逢ったお絹は言います。


「妾(アタシ)は決めましたヨ。いっそ旦那を……」
きっと見つめ合い、無言のうちに二人はすっかり覚悟を決めます。


璃嘴がお絹さんに、そっと渡した石見銀山。
うどん粉様の白い粉末をお茶に混ぜ、ひと泡立ったところを旦那に差し出しました。
時に明治四年正月十二日


「お、すまねえな。お前も近頃すっかり落ちついたな。
 そういう料簡なら今晩もお前を可愛がってやろうというものよ……うぐっ!
 ぐぶぶぶ……お絹! 手前、いってえ何ぃ入れやがった……」
途端に七転八倒に苦しみだすと、ほどなく金平ジイサンは力尽きたのでございます。


これで邪魔者は消えた。
さあこれから手に手を取って東京を逐電し、どこか遠い土地で暮らそうと
お絹さんと璃嘴は恋の道行をもくろみますが、しかしそれも果敢なき夢と消えます。
浅草屯所からかけつけた羅卒らに取り押さえられて、あえなく御用に。
犯行の一部始終を見ていた女中のお駒の通報によって悪事が露見したのでございます。
五月末、捕われたお絹さんは殺害を自白、罪状に服します。


「東京府士族小林金平妾ニテ浅草駒形町四番借店 原田キヌ 歳二十九
此者、妾ノ身分ニテ嵐璃鶴ト密通ノ上、金平ヲ毒殺二及ビ候段、不届至極二付、
浅草二於テ梟首二行フ者ナリ」


梟首というのは晒し首のことです。
不倫は文化とまで言われる現代と違いまして、不義密通は大罪であった明治の世。
いかに女性であろうと、毒殺は重罪をもって断じられたのでございます。
しかし、このときお絹さんはすでに璃嘴の子どもを身ごもっておりました。
そこで出産を待つこととなり、玉のような赤子が産まれ落ちましたが、
お絹さんはわが子の顔を見ることなく、九月二十九日の朝、小伝馬町の牢屋を出まして、
小塚原刑場において、山田浅右衛門の手により斬首されます。


このときにかの女が残した辞世の句“夜嵐のさめて跡無し花の夢”が
世間に伝わり、“夜嵐お絹”として、その名を残すこととなるのでございます。
まあ、この辞世が実際にあったかどうは別にして、
有名な役者と謀って金持ちの旦那を毒殺したのが色っぽい年増だというニュースは
当時をして、たいそうスキャンダラスな事件。
ことにお絹さんへの同情的な世評は後々まで語り継がれ、
その後、演劇や映画の題材として繰り返し扱われることになるのでございます。


一方、情夫の璃嘴はと申しますと、
かれもまたお絹さんとともに縄目を受けるのですが、
こちらは旦那の殺害を知っていて隠したという咎で二年の刑に服しました。


さて、このお話と魚河岸がどのへんで関係するのかと申しますと、
このあたりでちょっとだけ関係してまいります。
監獄を出所後あてない璃嘴に声をかけ、
「お前さんのような者がこのまま埋もれては惜しい」と
世話を焼いたのが、無類の芝居好きである魚河岸の顔役たち。
かれを九代目市川団十郎のところ預けることとします。
この辺り、団十郎と魚河岸との密接な関係を示すものでありますな。


璃嘴は後に市川権十郎を名乗り、見事カムバック。
人気役者として生涯を送ったといいます。