築地魚河岸昔がたり(78) 第二回不買争議(その二)

困っている
魚市場会社と魚問屋会社の合併問題のこじれは、
業者間で辛抱強く解決すべきことではありましたが、
時代はそれを悠長に放っておいてはくれませんでした。
単一合併がこのまま進まないのであれば、
市場の監督統制を乱し、業務の円滑な遂行に支障をきたす、として
東京府、東京市、商工省は強行手段に出ます。
戦前のこの時期、日本の資本主義は弱まって、軍部は財閥と手を結びます。
それをせっせと後押ししたのが経済官僚たちですな。
軍部が天皇絶対を看板にするのに倣って、官僚は国家の権力を売りものにします。
この権威を犯すものは、何者でも叩き潰す、と鼻息を荒くしていましたから、
市場業者のことなんぞはおかまいなしです。
国家の方針としては単一である。
二社のうち一社が賛成しないなら、法的手段に訴える、として、
昭和十一年六月十一日、ついに東京府知事の名で強制合併命令が出されます。
魚問屋会社は魚市場会社と合併をすること、
六月三十日までに株主総会を開き合併決議をすること、
それを行なわない場合は七月一日以降、業務許可の取消しか停止とする、
という内容で、両社に指令いたします。
もとより合併を望む田口氏の魚市場会社は、
この指令通りに六月三十日の株主総会で決議し、準備万端ととのえておりましたが、
一方の魚問屋会社の方は、「バ~カ!」といってシカトしてます。
府の指示には疑問が多いし、そんなの従えるかよ。
ま、ウチは総会を七月十七日に延期ってことで、ヨロシク。
どーせ、業務取消なんて出来るわきゃねえよ!
などと、タカをくくっていましたが、
案の定、市場当局には業務取消の命令を出す度胸はありません。
アイツらどうなんだ! 言うこときく気があるのか?
ところが、これは魚問屋会社側の時間かせぎ作戦でございまして、
この間に塩澤氏率いる鮮魚買出人連盟が関係団体に働きかけ、
合併反対! 消費者を守れ! の声を全国的に盛り上げるとともに、
七月八日には、東京において買出人の全国大会を開き、大いに世間の耳目を集めます。
それに呼応するように、青果小売商や婦人団体が同調し、市会に働きかけたことで、
問題が一気に表面化、連日、新聞各紙上を賑わせる大騒ぎとなりました。
こうなると、かえって府も市も一方的に強硬手段には出られません。
かといって、そのまま放置プレーというわけにはいかない。
それでまあ、十七日まで待ちましょうや、ということになります。
しかし、この十七日の総会でも、魚問屋会社側は平気の平左で合併決議を無視します。
本当は会社役員の中には、どうも役人らの言うことをきいて、
長いものには巻かれた方が良くね? と考える者もいたようですが、
なにしろ助っ人に入った塩澤氏の勢いに押されて、いわば引っ込みがつかなくなります。
「大体さあ、日本橋からこっちに来たときだって、何度も移転命令が出たけど、
結局延び延びになったじゃん。あれって偶然震災があったからこうなったワケ。
てえか、このまま引き延ばしてりゃ、そのうちウヤムヤになるしぃ……」
なんてことで、これだけ騒ぎを起こしたんだから、当局が強硬策に出るなんてない、
とやっぱりタカをくくっています。
しかし、そこのところを少しばかり読み違えておりました。
普通やらないよね、ということも、ファシズム下の日本においては
権力の名の下に平気でやれてしまうわけです。
東京市はシカトされた後も何度か説得をいたしましたが、
魚問屋会社に指令遵守の意志ナシとはっきりしたところで、キレます。
「業務停止!!」
ナメんじゃねえ! とばかりに、魚問屋会社に対して八月十五日から九月十三日まで、
一ヶ月間の業務停止命令を申しつけます。
「マジかよ……」
まさかそんなことしねえだろ、と思ってた魚問屋会社幹部にとっては寝耳に水。
青くなっているところへ、塩澤氏がやってきて言います。
「これって想定内よ。ま、本当にやるとは思わなかったけどね。
でもこれで次の手が打ちやすくなったよ。」
「次の手って、アンタ、何しようっての?」
「決まってるじゃん、不買争議だよ!!」