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夜嵐阿絹花廼仇夢・其ノ壱-よあらしおきぬはなのあだゆめ・その1-

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市場の古今の逸話を集めていますと、
ひょんなことから興味深いお話に出くわします。
魚河岸にちょっとした関係があるので、ネタ帳に記しておくのですが、
『野郎』の歴史アーカイブに載せるでもなく埋もれてしまうものも多くあります。
 
 
たまにはそんな内から、ひとつお話しましょう。
 
 
夜嵐お絹
といえば、高橋お伝、花井お梅と並ぶ明治三大毒婦としてつとに有名です。
色情の果てに石見銀山で旦那を殺す、というまさに毒殺の定番を確立したお方ですな。
石見銀山なら近頃、目出度く世界遺産に認定されまして、
かつて日本が世界有数の資源国であったことに思い至る次第でありますが、
銀もさることながら、この地名を冠した殺鼠剤「石見銀山ネズミ捕」は
お絹さんの名と共に全国に知れ渡ったのでございます。
 
 
古来、毒婦といえばイイ女と相場が決まっておりますようで、
このお絹さんもすこぶるつきの美貌だったそうです。
明治五年に小塚原で処刑され、首を晒されるのですが、
その晒し首がスゲエ綺麗だ、と当時の新聞が書きたてたほどでございます。
 
 
本名は原田きぬさんと申しまして、相州は城ヶ島の生まれ。
十六の春に江戸に出てまいりまして、鎌倉小春の名で花柳界デビューいたします。
すると愛らしい容子で江戸中の評判を集めました。
そんなことから、安政三年、下野国三万石の大久保家城主に見初められ、
お絹さんは見事玉の輿に乗るのでございますな。
そして、ほどなく世継を産み落とすのですが、この幸福は長くは続きません。
大切なお殿様が急死してしまいます。
用なしとなったお絹さんはわずかな手切金で大久保家を放逐されちゃうんですね。
一説に愛欲乱交の行状によるとされますが、本当のところ、いかような事情かは知れません。
ただ、維新の混乱の世に女一人、放り出されることとなったのです。
 
 
わずかな手切金もすぐに底をつき、困窮の身で頼るは、やはり身代持ちということで、
今度は金平という、名前の通りの金持ちで金貸しの妾として、浅草猿若町に囲われます。
この金平さんというのが、結構なジイサンなのですが、
年齢を感じさせぬ性欲とさまざま趣向を思いつくアイデアを兼ね備えた
スーパーエロジジイだったから大変です。
「うへへえ……おきぬぅ……」と毎晩のことですから、これはたまりません。
でもまあ金はたんまりと呉れるし、我慢しておりましたような次第で。
 
 
けれども、毎晩ジジイの相手はまっぴら、たまには若い男と遊びたいハ、
と、お絹さんが思うのも、至極もっともでございます。
それで、猿若町といえば江戸後期より芝居町として栄えまして、
お絹さん好みのイケメン役者がそこいら中を闊歩しておりましたから、
今や浅草セレブのかの女は、金にあかせて男を買い漁るんですな。
金持ちの上に、もともと美貌で名を馳せたほどの女ですから、男どもも放っておきません。
さながら誘蛾灯に誘われる蛾のように我も我もと集まってまいります。
そうして若手役者を大人買いしては片っ端から食べ、そして夜はジジイ。
アラ、妾(アタシ)ってこんなに多情な女だったのかしら、と
自らのアイデンティティに疑問を感じたその時、
お絹さんの眼に一人の若者の姿が映りました。
それが森田座の嵐璃嘴(りかく)という眼元もきりりと涼しい
当世売出し中の超イケメン俳優だったんでございますな。
 
 
広い世界にただ一人、何故に貴男がこう可愛い……
すっかり岡惚れしてしまったお絹さん、慣れぬ恋文を認めるもいじらしいじゃござんせんか。
 
 
“なかなかにうとからましかば 命にかへてあひみてましと、なげき待たれし夕ぐれは
 秋風のみおとづれ、つらかりし鳥の音をひとり寝の床に待ちあかし
 枕の上のちりを、幾夜つもりぬとかぞへ……云々”
 
 
ところがここでイケメンの璃嘴さんの方も、実は密かにこのお絹さんに
一方ならぬ恋慕を抱いておったというのですから、うまくできたお話。
すぐにふたりは恋仲となり、密通を重ねることになります。
「ああ、妾は囲われ者、世間に顔向けの出来ない日陰者。
 けれどもお前の前では生娘(むすめ)のまま。
この身はジジイのものなれど、心は璃嘴さん、お前のものよ。」
「お・お・お絹、俺ぁ、アンタを離さないぜえ……」
とまあ、道なき恋の逢瀬を重ねる心持が、二人を熱く燃え上がらせるのでございますな。
しかし、そうは申しましても、不義密通は所詮結ばれぬ運命。
お前と添い遂げたい、と思えどもままならぬものでございます。
 
 
「いっそ、あのジジイをひと思いに始末してしまおうか……」
感情の高ぶりにまかせて、ふと口をついて出た自分の言葉に、
お絹さんは慄然とする思いがしました。