夕可゛しのアジ

江戸前といえば寿司のこと、かというと
実はそうじゃなくて、鰻のことなんだよ、と
したり顔でウンチクを語ったりする。
江戸時代、鰻ばかりは土地のものじゃなくちゃいけない、
他所から持ってくるものは「旅鰻」といって嫌われた。
だから、「江戸前」というのは、江戸で捕れた鰻を宣伝する、
いわばキャッチコピーとして広まったというわけ。
ところが、そいつをもうちょっと調べてみると、
最初に「江戸前」を名乗ったのは鰻じゃなくて、
どうも鯵らしいということがわかる。
享保二十年(1735)に菊岡沾涼という人の著した地誌『続江戸砂子』に
“江戸前鯵
中ぶくらと云、随一の名産也、江戸前にて漁るを前の魚と称して佳品也”とある。
鰻屋が江戸市中にあらわれるのは、ずっと後の天明の頃(1788-1789)だから、
鰻よりも早くに「江戸前」の称号が鯵に冠せられていたわけだ。
鯵、そして夏、とくれば、お江戸魚河岸の名物に「夕河岸」というのがあった。
魚の売れ口が悪く、傷みやすい夏場は小田原町では難儀だったが、
ただ、この季節には上総方面から小魚が捌ききれないほど、どっと届いた。
そこで、その余りを午後にまとめて売っちまおうというのが「夕河岸」で、
朝市ほどではないが、結構賑わったという。
主役は「鯵」、それから虫の声をきく時分には「鰯」が出回った。
夕方に日本橋の川風に吹かれての魚売。
さぞや清々しいものだったろう。