築地魚河岸昔がたり(79) 第二回不買争議(その三)

約束の期限を過ぎても合併に応じない魚問屋会社の態度に業を煮やした市当局は、
遂に同社に対して業務停止命令を下します。
もっとも約束の期限といっても商工省が勝手に決めたものであり、
結局、期間限定の複数会社容認というその場しのぎの方策をするなら、
はじめから魚問屋会社の創立を認めなければよかったわけです。
複数派としては、あまりにも理不尽なやり方と感じるのも当然なわけで、
その上、業務停止などあり得ないっしょ、と考えていたものですから、
市当局の強行策は魚問屋会社はじめ複数派の人びとにはまさに青天の霹靂でございました。
「やばいっすよ、やっぱ、ここはおとなしくお上に従った方がいいんじゃね?」
「んなバカなことってねえよ。ここは断固業務停止撤回に動くべきだよ!」
浮き足立った魚問屋会社内では硬軟両派に分かれて意見が対立しております。
するとそこに、
「キミたちィ、何言ってるのよ。今がチャンスじゃないの!」
と口火を切ったのが、買出人の大ボス塩澤達三氏でございます。
「不買だよ、不買争議。もう各方面には手を回してあっからね。
何、私の言う通りにやれば万事O.K.大丈夫、大丈夫、ふはははは!」
さても、この事態を憂慮した代議士の田川大吉郎氏と河原田稼吉氏、
および国粋会の大物、梅津勘兵衛氏らが調停に乗り出します。
しかし、府も市も処分を解除する意志はまったくなく、
魚問屋会社も頑として合併決議の誓約書に調印しないので、
まったく調停の余地はなく、事態は完全に行き詰まりを見せるのでございます。
そうして昭和十一年、九月二日。
震災記念日の翌日より、買出人連盟理事長塩澤氏の指導のもとに
昭和七年八月以来、二度目の不買争議が実行に移されることになります。
このときの争議は失敗に終わった前回の徹を踏むまいと、周到に準備されたことで、
規模も大きく、またその期間も長いものとなりました。
一万五千人の買出人のうち、連盟側七千人が築地魚市場をボイコット。
周辺市場である横浜、川崎、大森、千住での買出しに一斉に繰り出します。
これを受けて、市当局と魚市場組合の連合軍は十数万枚のビラを配布、
「築地市場は消費者への直売をします!」と訴えました。
市場が真っ二つに分かれての一大争議は、連日新聞紙上をにぎわせることとなり、
全市民の耳目をひきつけました。
大東京の一角の築地市場だけがあたかも戒厳令下のようなものものしさに包まれます。
市場内は円タク等の入場禁止、市職員を動員して入場者の整理に当たります。
不審な者は一切市場内には入れないということで、
万一のために築地警察から七十名の警官が動員されました。
一方、買出人連盟側は、五百台のトラックを用意。
荷台には向こう鉢巻に赤襷の魚屋を乗せて、
隊列も見事に各市場を一斉にめざします。
まるでこれから合戦にでも出かけるかのような雰囲気でござまして、
魚屋がこんな殺気立って魚を買いに行くのは、有史以来はじめてのことでございましょう。
そんなことから、当然築地市場の入場者は激減します。
お客さんは六割減、入荷量も四割減。
大変な打撃を受けることになりましたが、魚市場会社の田口氏は
「まあ、このくらいは予想しておったよ」
と、あらかじめ用意しておりましたトラック四十台とオート三輪二十数台を稼動し、
東京市内全域、お魚の無料配送で対抗いたします。
生鮮魚のデリバリという、数十年後に実現される先駆的な業務を
偶然にもこのときに実現させていたのでございますな。
築地市場の売上がたいそう凹んでしまったのと反対に、
買出人連盟がどっと繰り出した周辺市場では売上が倍増、魚価も一割の高騰を見せました。
「いや、いいっすよ争議。もっとやれって感じ」
とは心の底で思っていたかもしれませんが、
東京の買出人たちの凄まじいパワーに、顔を見合わせるばかりの周辺市場の人びとでした。