築地魚河岸昔がたり(82) 第二回不買争議(その六)

ところ変わって、こちらは浜町の待合でございます。
魚市場会社の幹部たちがここをアジトにしておりました。
単一派の首魁、田口達三理事長は一ヶ月を経ても進展しない争議の行方を
少々の苛立ちと共に見守っておりました。
もちろん黙って指をくわえていたわけではございません。
消費者への直売を行い断固たる態度で臨んでおります。
何となれば、田口氏の頭には一本通った市場流通の理念がございました。
「いつ出番が回ってくるかとヒヤヒヤしましたが、久しぶりに登場とあいなりましたので、
ひとつこの場をお借りして、ワタクシの単一論など申し上げたいと思います。
卸売会社が一社に集中することの弊害が叫ばれておりますが、
そのようなことは断じてないのでございます。
会社が荷主と結託して値段をつり上げるとか、仲買が思うように買えない、などは
まったく根拠のない憂慮としか言いようがございません。
いったい、生の魚を売買するのに、談合や止め札の類がどれほどあろうものか。
大東京には無数の小売店、料理屋がございます。
自分の得意先と思った品物も、各所にこまかく分かれてしまいます。
料理屋向けは料理屋向け専門に、惣菜物は惣菜専門に、塩干物は塩干専門という具合で、
ひとつところに千人も集まるわけではございます。
また、とくに出荷者は単一になると卸売人が横暴になると反対しておりますが、
これは誤解はなはだしく、市場の実情が分っていないとしか言いようがございません。
むしろ卸売人が複数あると、それだけ人件費や通信費など、
いろいろの費用が何倍にも余分にかかります。
その費用を一体誰が負担しているというと、実は消費者や仲買ではなく、
出荷者の負担になっております。
それが単一になって大いに軽減するのだから反対する道理はないと思うのであります。
いま中央市場に送られてくる荷の80%は産地出荷で、生産者が直接送る分は少しです。
生産者は魚を獲っても漁港では必ず産地仲買業者の手を経ているわけですから、
こうした人たちの経費を減らすためにも、農林当局も単一という方針のもとに
法改正をしようというのは当然のことなのでございます……」
田口氏が長口上を続けているその時、争議調停者より呼び出しの使いがまいります。
相手は土地の顔役、大日本国粋会理事長の梅津勘兵衛氏。
「ひとつ相談に応じたく候」
梅津氏は青果の大沢氏や明治座社長の渡辺明氏などからなる争議団から依頼を受け、
問題解決を頼まれたのでございますが、何しろ右翼の大親分でございます。
魚市場会社の幹部たちは皆おじけづいてしまいました。
さしもの田口氏も、
「困ったね。ワシが行って話こじれるとヤバイッしょ。
ここはひとつ物腰の柔らかい人にお願いしたいなー……
どお? 誰か行ってくんない?」
などと、言われても、進んで自分が行く、なんて者はおりません。
誰だってこんなところで命は落としたくはないですから。
と、そこに所用で外回りをしておりました田口氏の参謀役である
伊藤春次氏が汗を拭きながら帰って参りました。
「おお、いいところへ来た。
伊藤君、悪いけどアンタ、梅津親分んとこ、行ってくれんか」
「え? ああ、いいっすよ」
伊藤春次氏、当年とって三十六歳。
築地市場随一の理論派で知られたかれはまた、
“頼まれて 一肌脱ぐは男なり”を地でいく漢(おとこ)でした。
春次氏は風呂場で身体を清めると、真新しいフランネルの着物に袴をつけ、
蛇の目の傘を斜に構え、凛とした姿で待合を出ます。
そこには普段の物静かで理知的な容姿と打って変わった気組が漂っておりました。
折りしも降り出した雨の中を、人力車を走らせます。
場所は不忍池のほとりに建つ翠松園。
~♪花も嵐もぉ~踏み越ぉえてぇ~ 行くが男の生きる道
霧島昇、ミスコロムビアの『旅の夜風』をバックに、
春次氏を乗せた人力車は市中を跳ぶように行きます。
魚河岸争議もいよいよ大詰めの調停にこぎつける、と聞きつけた報道陣が
すでに翠松園を取り囲んでおりました。
到着した春次氏が部屋へ入ると、新聞記者たちがぞろぞろと後について来ましたが、
梅津氏の子分らに「貴様らはさがれ!」と一喝され、退散しました。
春次氏は案内された部屋に入ると、そこは二十畳ほどの座敷で、
梅津大親分がひとり座しております。
卓をはさんで対座する春次氏を梅津氏はジロリと睨みつけました。