築地魚河岸昔がたり(86) 検束される市場関係者
留置場はしらみや南京虫のたかる陰々滅々たるところで、
嫌疑者は早く出たくて、つい自白をしてしまうといいます。
春次氏は訊問を受けては、一週間程この不潔な場所に留められるということを
くりかえされました。
「相当な金を持っていったな。調べはついている。白状せんとためにならんぞ」
「何も持っていってません」
「バカヤロウ! 今時、女学校の入学を頼んでも10円の商品券が当たり前だ。
これほどのことを頼むのに手ぶらで行くわけはないだろう!
いったいいくら持っていったんだ!!」
訊問の刑事は凄みをきかせて怒鳴りつけます。
気の弱い者なら、すくみ上がってしまうのですが、春次氏は淡々と答えました。
「村瀬局長は中央大学の商法の先生です。人格者で、もしも金を出しても受け取りません。
辻さんも松田さんも大金持ちの御曹司。金なんかつっ返されますよ。」
「どうしても言わないのだな。ようし、また油を抜いてこい!」
それでまた留置場へと逆戻り。
毎日のように奥さんが差し入れにまいりますが、面会はさせてもらえません。
逆に「お前の亭主は大罪人だ」などと蔑んだ目つきをされたといいます。
警察に捕まるなどということは世間的には大変に不名誉なことでありました。
しかし、留置場生活が長くなりますと、その世界では次第に地位が向上していきます。
周囲のスリや泥棒、ばくち打ちたちから「旦那」といわれるようになります。
「何だか知らないが、旦那は偉い、立派だ。何されても自白しねえんだからな」
混房内での席も良くなり、食事のときの味噌汁もたっぷり実のあるものにありつけます。
そうして、いつのまにか春次氏は留置場の親分格に祭り上げられる始末。
そうしたある日、ふたたび訊問に呼び出されます。
「魚問屋会社の合併問題や営業停止のことを一番知っていたのは誰なんだ」
そうきかれて春次氏は正直に答えました。
「それは府知事の横山……」
そのとたん、取調べの刑事はびっくりして「ばかっ!」と叫んで火鉢を蹴り上げました。
春次氏は知らないことだったのですが、以前に田口氏とともに会社合併を主張した相手の
当時、府知事であった横山氏は、実はこのとき偶然にも警視総監になっていて、
今回の疑獄事件の取調べでは総司令だったのでございます。
春次氏のなにげない一言が、警視庁では大変な問題となり、
これはどうも釈放した方が良さそうだという結論に達しまして、
伊藤春次氏は四十八日ぶりに拘束を解かれ、家へ帰れることになりました。
「やれやれ、えらい目にあった。」
実に不愉快な日々を送り、ようやく家でくつろげる喜びにひたろうというとき、
春次氏は驚愕の事実を知らされます。
「えっ、田口さんが引っ張られた!?」
春次氏が釈放される九日前の昭和十二年二月七日朝、
田口達三氏の築地の自宅に二人の刑事が連行されました。
そのときの様子を田口氏は自伝『魚河岸盛衰記』の中で語っています。
見かけはやさしそうな人で、「何ですか」と尋ねると「一緒にいってもらいたい」という。
刑事が一人ならたいしたことはないが、二人で来るときは事によると帰れないかもしれない、
以前に引っ張られた人の話をきいていた。
しかし実際に賄賂を使って市会議員を買収したわけでもなし、私は気持ちを楽にしていた。
そこでもう一度年を押した。
「何の用ですか。」
「いや、たいしたことないですから。」
「泊められるようなことがありますかね。」
「ないだろうと思うけれども、泊められるつもりで仕度をしてもらいたい。」
それで覚悟を決めた田口氏は、仕度を整え、食事を取り、
朝七時に刑事とともに警視庁へと入りました。
その日の取調べは穏やかでしたが、夜になると泊められることが分りました。
「用があるならまた来るから帰してもらえないか」
「バカなことをいうな!」
それから過酷な取調べがはじまることは春次氏の場合と同じです。
警視庁に入った容疑者には収容番号というのがつけられるのですが、
田口氏が頂戴したのが三百番というキリの良い数字。
ここでは一番、五十番、百番、二百番、三百番という分りやすい番号は
いずれもみな重要な嫌疑者につけられることになっていたそうです。
監視人も普通の容疑者には特別に気をつけませんが、
キリ番容疑者には監視が四六時中つくことになっていました。
重要容疑者田口氏の取調べは真夜中に行なわれました。
昼間は寝かせておいて、夜中にたっぷりと叩く。
世間では魚河岸の大物拘束が大々的に報じられ、
すわっ疑獄事件とばかり騒がれます。
魚河岸は悪の伏魔殿だ、との日頃からのイメージに火がつき、
とんでもない大事件として巷間をかけめぐるのでした。
