築地魚河岸昔がたり(84) 不買争議が終わって
世間を騒然とさせた魚河岸不買争議も集結しましたが、
終わってみると、この戦いによって誰が何を得たのか、
さっぱり分らないという曖昧な空気が残りました。
そもそも卸売人の単複問題に端を発した争議でありながら、
魚市場会社と魚問屋会社の合併問題はなおざりにされた感があります。
そして、商工省、東京府、市はこぞって権威の維持と面子にのみ固執し、
複数派であるはずの買出人側は、第一回争議での失敗を取り戻すことに
いつのまにか問題をすりかえてしまいました。
その結果、行政としては、当初の方針通りの単一卸売会社ということで、
よく分からないが権威は保った形になります
買出人側は、要求項目のうち限定的なセリ参加資格と奨励金を得て、
将来の利益を確保したかに見えますが、空手形かもしれないという不安定な状況。
最も甚大な被害を被ったのが魚問屋会社です。
五十日余にわたる不買運動参加で、業務停止の期間の給料、運動費の捻出に明け暮れて、
その損害はいまの金額でおよそ10億円にものぼるといいます。
矢尽き刀折れ、ボロボロになった魚問屋会社は、
業務停止解除の日をもって、魚市場会社の合併を余儀なくされました。
昭和十一年の不買争議は、魚河岸最大の騒動でありながら、
単複論まで含めて、その真の歴史的意味を言い当てる者はいないかもしれません。
おそらくその当事者によってすら、まったく違う問題として語り出すことでしょう。
芥川龍之介の「藪の中」にも似て、いくつもの事実が重なり合い、
その姿は曖昧模糊として、つかみどころがありません。
しかし、漠然としていながらも、それは中央市場の本質的な議論であって、
築地市場のスタートにあたり、ぜひ解決すべき問題でありました。
ところが卸会社は一社であるべきか、複数がいいのか、といった単純なことですら、
70年を経た今も、結論は出ないままにあります。
中央市場が誰のものか、何のためにあるのか、
その命題はついに決着を見ることもなく、
先送りされた宿題は、現代になって築地移転問題にまで波及しているように思えます。
しかし、そのようなスタートを余儀なくされた築地市場ですが、
それもまた時代の流れに翻弄されたことにはちがいありません。
戦争ファシズムの影は市場関係者たちの背中を突いていました。
最早誰も止めることのできない暗い時代に、市場もまた否応なく入っていきます。