築地魚河岸昔がたり(85) ふたたび疑獄事件に
不買争議終結後、魚市場会社への魚問屋会社の吸収合併は速やかに行なわれ、
昭和11年11月2日、合併契約が結ばれて魚問屋会社の業務が引き継がれます。
単一制による卸売会社創立に伴って、問屋、および問屋兼仲買は消滅し、
日本橋魚河岸以来続いてきた旧来の売買は完全に姿を変えました。
魚問屋は卸会社(俗に大卸ともいう)に収容され、仲買は専業となります。
仲買業者は魚類一般を扱う者1376人、川魚のみ扱う者33人が正式に許可されています。
また、長い歴史を持つ魚市場組合も昭和10年12月をもって解散することとなり、
同23日、歌舞伎座で盛大な解散式が挙行されました。
組合解散によって、仲買人は仲買組合と少数の若手による仲買人協会を組織しますが、
後に合同し、現在の東京魚市場卸協同組合(東卸組合)をつくります。
魚河岸は長い陣痛の末、世界最大級の中央卸売市場として
ようやく産声をあげようとしていました。
しかし、ここに再び問題が持ち上がります。
魚市場会社に警視庁の捜査のメスが入ったのでございます。
一般的に見ても、世間を騒がせた単複問題の決着には何か納得できないものがありました。
それは単一派である魚市場会社の考えが市場行政当局の思惑と一致していて、
あまりに事が強引に進められたので、
魚市場会社の関係者が裏で不正な行為をはたらいたのではないか、
という疑念が生まれてきたからです。
たとえば商工省から、府、市、という具合に次々に単一方針となったのも、
連中は関係官僚の説得工作に動いて、かなりの賄賂をしたのじゃないか、とか
市会での決戦投票で、わずか一票差で単一派が勝利を収めたときも、
複数派の欠席が多かったのはおかしい、何か仕組んだに違いない、
などと噂されていました。
世間で騒がれるより以前に、警視庁ではかなりの疑念を抱いておりましたが、
そこへ市場関係者からの投書が殺到し、電話によるタレこみも次々に舞い込みます。
これは投書好き、チクリ好きの市場人にはよくあることで、
オレは何だかおもしろくねえ、となれば、すぐにあらぬ噂も立てるわけです。
ムラ社会特有のレクリエーションみたいなものなのですが、
警察関係にシャレは通じません。
市場内で利権取引の密通が行なわれたと判断し、
疑獄事件への発展の可能性ありと捜査を開始します。
するといろいろと出てまいります。
田口氏らが要人を訪問した日時などもハイヤーの伝票などから分ります。
これは相当大がかりな贈収賄事件に違いない。
一途に思い込んだ警視庁は、捜査二課挙げて、大がかりな取調べを始めます。
昭和11年も押しせまった12月28日朝、
田口達三氏の片腕である伊藤春次氏は二人の刑事に連行されます。
同日、魚市場会社取締役会計部長の鈴木亀次郎氏も拘束。
警視庁はこの二人の自白を皮切りに、会社幹部を一網打尽にしょっ引くハラでした。
取調べ室で春次氏は、商工省商務局への工作に対する尋問を受けます。
昭和9年11月初めの日曜日、春次氏は商工省村瀬商務局長から遊びに来いと、
自宅に呼ばれ、組合常用のハイヤーで出かけたことがありました。
そこには商政課長はじめ、商工省の事務官らもいて、市場の単複論に花が咲きます。
「その夕刻にお前、うな丼をご馳走になったろう。」
「いえ、あれは……うな重だったと思います。」
「何ィ、それはなお怪しいじゃないか。」
この日、春次氏は明け方近くまで話し込みました。
商工省では魚市場の業務規定を許可しなければならない時期で、
このときの春次氏との話合いによって、村瀬局長は
「単一を旨とする」という通牒を出したといいます。
そのときに賄賂を渡していたのではないか、というのが警視庁の見方でした。
二人の対談中に複数派である魚問屋会社の者が、たまたま局長に陳情に来て、
「問屋会社の者ですが」と玄関で名乗ったところ、
取次ぎの家政婦さんが何を思ったか「トウフ屋」と聞き違えてしまいました。
「豆腐なら間に合っています」と玄関払いを喰わされたこの男、
そのとき中に春次氏がいた事を知って、いぶかしく思い、
警察に投書をしたのが嫌疑のもととなりました。