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      <title>カジキ日和</title>
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      <description>行って来いな日本に一服のメカジキ日記</description>
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         <title>打止め</title>
         <description><![CDATA[　　　<img alt="fukuchan1.GIF" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/fukuchan1.GIF" width="81" height="71" />


予定数を終了したので、
元祖『魚河岸野郎』へ戻ります。
この続きは<a href="http://www.sakanaya.co.jp/column/index.html">こちら</a>で。

長い間ご愛顧有難うございました。
左様なら。]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 15 Dec 2007 13:20:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８９）　つかのまの繁栄</title>
         <description>十年余の長きにわたって続いた築地中央市場誕生をめぐる様々な問題も収まり、
いよいよ活発な取引が開始されるかという、その矢先の昭和１２年７月、
盧溝橋事件にはじまる日華事変がおこります。
日中両国とも宣戦布告をして戦時国となるのは芳しくなかったので、
「事変」と呼称しましたが、これはどう見ても戦争でした。
戦線はまたたくまに拡大し、１２年１２月、日本軍は中国の首都南京を陥落、
戦勝ムードのなか、東京市では提灯行列が行われています。
１３年１月、時の近衛内閣は蒋介石を相手にせず、という声明を出しており、
当時の日本政府は中国大陸での戦争不拡大の方針をとっていました。
しかし、日華事変はとどまることなく拡大してまいります。
　
　
それに伴って国の歳出はどんどん膨れ上がります。
昭和１６年度の公債発行額は８７億８千万円、これは歳入総額の５８％を占めるものでした。
政府は日華事変直後の１２年８月に「暴利行為等取締規則」を公布し、
米や貴金属などで暴利をむさぼることを取り締まる目的で低物価政策を打ち出します。
これを期に適用品目が拡大、戦時下の統制経済が本格化していくこととなります。
昭和１６年３月、国家総動員法が成立し、同５月より施行、
いつでも戦争に踏み込める体制が整います。
　
　
社会情勢とともに魚市場も長い統制時代へと向かうのでございますが、
それでも、日華事変がはじまったばかりの頃は、市場に直接の影響は少ないものでした。
満を持して発足した魚市場会社は予想を大きく上回る売上実績をあげます。
昭和１２年は日本が戦争の泥沼へと入り込んだ年ですが、
国民生活一般は先の昭和恐慌の傷跡も癒えて、比較的安定していた時期でもありました。
重化学工業を中心とした産業が急速に発展し、農村も生産力を回復、
いっぽう水産業は、サケマス漁業、冷凍マグロ缶詰などの輸出も好調、
この時点では経済効果が企業の成長を助長していました。
すったもんだのあげくに旗揚げした魚市場会社も、その恩恵に浴することができたのです。
むしろ、もう少し早い、中央市場の施設が完成した昭和８年前後に発足していたなら、
あるいは苦しいスタートとなったと見る向きもあります。
　
　
また、魚市場会社の出資者は仲買人であって、
株主といっても、もとは同じ魚市場組合の仲間です。
だから、自分たちの会社だという意識が強く、
出資したからといって、すぐに配当を要求することはしません。
これが会社の運営を非常にスムーズにいたします。
田口氏が商法違反に問われる借金をしてまでも、
外部からの出資を仰がなかったことが功を奏しました。
単一会社の発足から戦時統制経済へ移行するまでの、ほんの数年間が
魚市場がもっともうまくいっていた時期で、
昭和戦前の黄金時代ともいえる繁栄をつかのま謳歌いたします。
　
　
当時の資本漁業が一時的にうまくいっていたことも市場には追い風になりました。
漁獲量の急速な増加で魚価は安く、潤沢な入荷が続いていたのです。
その頃は、日魯が北洋さけ・ます漁業を掌握、日水はかに産業を推進、
後のマルハとなる林兼は、南氷洋捕鯨へと乗り出していきます。
戦前における水産業の絶頂期にあって、中央市場はよいお客であり、
単一卸売会社の存在は集荷の点で非常に有利にはたらくことになります。
　
　
昭和１２年の売上高は５３７０万円にのぼり、以後、１３年６６７６万円、
１４年８５４４万円、１５年には１億５８０万円の大台に乗りました。
物価の上昇以上に取扱高は増えていったのです。
それというのも、当時の軍事費が景気うまく刺激する程度に循環して、
いわゆる軍需景気が社会経済に好影響を与えていたからです。
　
　
しかし、昭和１５年を境として様相は一変します。
軍事費の増大が戦時インフレを引き起こし、社会生活を圧迫するようになります。
日本の水産業はつかのまの繁栄ののち、漁船の徴用、乗組員の徴兵などによって、
一気に漁獲量は減少、衰微の道をたどることとなります。
　</description>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Tue, 23 Oct 2007 11:45:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８８）　刑務所の親分</title>
         <description>　
「おい、魚河岸の社長は刑務所じゃあ大した顔だってなあ。こないだ佃繁親分がムショのなかでエライ世話になったそうだよ。」
拘留されてすでに百五十日を過ぎようという頃、
市場では田口氏が刑務所の大した顔役になっているという噂が立ちました。
何でも先代の佃政親分の跡を継いだ佃繁親分が、
ひょんなことから市ヶ谷刑務所へしばしのご奉公とあいなりましたときに、
「あの男はここに収容されたとはいえ、決して恐喝や乱暴行為をする男ではない。
　博打打ちだが人格者だ。ケチなことはしない立派な男だから、
　ここ(刑務所)では、なるべく楽な仕事に回してやってくれ」
と、所長に口添えしてくれた人物がいました。
それが何と魚河岸の社長ということで親分はびっくりします。
「繁、いま嘆願があったところだ、こちらの魚河岸の社長からな。」
すると佃繁親分、田口氏の方を向いて、
「親分、よろしくお願いします。」と礼を述べました。
　
　
関東屈指の大親分から親分呼ばわりされてしまった田口氏。
この話が市場に伝わると、またも大げさに騒ぎ立てます。
「会社の社長が刑務所の親分に収まっちまったんだから、
これからどんどん市場の人間がしょっぴかれるぞ。
会社合併にかかわった奴は、みんな刑務所行きだ。」
実際に中央市場の場長や監理課長はじめ東京府や商工省、銀行関係者までも
証人として呼び出されます。
しかし、疑獄問題にはなかなか発展せず、警察の思惑は大きくはずれてしまいます。
　
　
その頃、田口氏は所長室で差し入れの素麺をずるずるとやっていました。
「うまい。うまいな。この歳になるまでいろんなものを食ったが、
　こんなにうまいと思ったことはないよ」
刑務所に収容されたのが東京に初雪の舞った冬で、今はセミの鳴き始める盛夏ですから、
シャバとの長い別れは、所長のちょっとした心遣いにも身にしみる思いがしてきます。
　
　
「私はいつになったら出られるのでしょうかね。
　調べるなら調べるで、早くやって、そして出してもらいたい。」
　
　
当時は予審制度というものがあって、被告は弁護士も立てられず、期限も定められず、
判事の一方的な訊問によって進められました。
昭和１２年の夏は、ちょうど衆議院選挙と市会議員選挙が重なって、選挙犯が次々に出て、
田口氏の予審訊問は遅れに遅れていたのです。
　
　
焦点であった商工省と市会への疑惑は完全にシロとなって判事は慌てました。
そこで別の問題で攻めていきます。
　
　
「会社の創立総会前に北門銀行から工面した預け合い勘定は明らかに商法違反である。
　お前は総会やりたさに商法も知らずにやったことであろうが、
　お前のところの本多弁護士が黙認したことは法律を職とする者が許されることではない。」
　お前さえ承知ならば本多氏をひっくくろう。」
　
　
いや、それは困る、と田口氏は首を振ります。
「本多弁護士には私が無理を言って頼んだんだし、
　それにどうせここまで来たんだから、私が背負えば問題はないことだ。」
　
　
これで有罪となるのですが、百五十日の拘留で商法違反ではお話にならない。
そこで判事が持ち出してきたのが次の問題です。
　
　
昭和１１年４月１８日、市場監理課長の桑原氏から田口氏に電話があり、
「これから市会議員１７、８人を連れて、板船権問題の件で関西に調査旅行に行きたいが、
もう銀行も閉まっていて金がない。５，６百円貸してくれないか」と言われます。
そこで田口氏は足らないといけないということで千円貸してやりました。
今でいうと百万円くらいに相当する金額です。
旅行から帰った桑原氏は百円札十枚入った封筒を持って田口氏宅を訪れますが、
「別に今、急いで返してもらわなくても良いよ。
　要るときは言うからそのままで持っていてもいい。」
桑原氏はその金をカバンに入れて長い間もっていて、そこへ疑惑問題が勃発してしまいます。
結局これが贈収罪にあたりました。
　
　
魚河岸の疑獄事件発覚、その波紋は市会にまで広がるか、と新聞が書きたて、
世間を大いに騒がせたこの事件。
結局、田口達三氏が公正証書不実記載行使並びに贈収罪ということで罰金４百円、
市場監理課長桑原徹氏が、千円の追徴と懲役四ヶ月、執行猶予二年という判決で決着します。
まさに泰山鳴動鼠一匹というありさまで、長期拘留を受けた田口氏こそ大変な迷惑でした。
　
　
昭和１２年７月７日盧溝橋事件が勃発、日本が戦争の泥沼へ深く足を突っ込んだその日に、
田口氏は市ヶ谷刑務所を出所します。
拘留期間に一本もタバコを吸わず、これを機に生涯やめようと思っていましたが、
迎えの車のなかで、息子さんが差し出したタバコをみると、
矢も盾もたまらずに立て続けに二本吸って、田口氏の禁煙は失敗に終わりました。
　</description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/10/post_289.html</link>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Thu, 04 Oct 2007 11:08:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８７）　何でもいいから白状しろ</title>
         <description>「おい、おっさん、おっさん。アンタ何やったんだ？」
留置場のなかで、田口氏にささやく男があります。
刑務所とシャバを何度も出たり入ったりして主となっている男でした。
「これか?」と指を曲げます。スリで捕まったのか、という意味です。
「それとも忍びか、タタキかい？」
余計なことを話してはならないと、田口氏は無視しました。
四六時中、警官に見張られていたからです。
　
　
警察では事件の首謀者に違いない、と決めてかかっていたので、
何としても叩いて供述を取ろうというハラでした。
田口氏にしてみればまったくのとばっちりで、ひどい目に遭うことになったのですが、
なかなか貴重な体験だった、と後に自著『魚河岸盛衰記』で当時を克明に回想しています。
　
　
「一言いいさえすれば家に帰してやるんだ。
家では子どもたちが、お父さんが警察に挙げられたので、
きまりが悪くて学校にも行けないといって、大変なことになっているぞ。」
　
「何でもいいから一つでも白状しろ。こちらもお前を捕まえておいて、
新聞の三面記事に二段抜き、三段抜きで毎日出しているものを、
何もなかった、悪くなかったでは警視庁はどうなるんだ。
オレの落ち度になるじゃないか。」
　
そんなことを言ったって、あんた達が勝手に私を捕まえたのじゃないか。
話せと言われても、何もないものは話せはしない。
田口氏は頑として否定します。
　
　
「それじゃ、賄賂のことだけ認めろ。商工局長にお前が相当な金をやったことは確かだろ。
　商工省に五千円やったのも挙がっている。その顛末を言え」
「冗談じゃないですよ。あの潔白な商工局長が賄賂なんか受け取るものですか。
　以前にお世話になったときにブリ一本をお宅に届けたら、
　こんなもの貰うわけにいかない、と返して寄こしたほどの人ですよ。」
「ばか、ブリだから返したんだ。金は受け取ったろ。証拠は挙がってるんだからな」
「証拠が挙がってるといっても、私はやった覚えもなければ、するはずもない」
「とにかく何でもいいから、やったと言え。」
　
それでも白状しないとなると、拷問道具を見せて言います。
「貴様のようなやつは、ここに百日でも百五十日でも入れておいて、
　水がめに落っこちたご飯粒みたいに膨れあがらせてやる」
そうしてさんざんに脅かすのですが、実際には拷問などは行ないません。
　
　
あるときなどは、どうしても白状しないのなら、そこに座れ、と言います。
「こんなところには座れない」と答えると、
「座れねえ、とはどういうことだ。」
「座ったことがないから座れません。」
「ふざけるな、座ったことがない奴があるか。」
「呉服屋や足袋屋じゃありませんし、市場の者は座っている者は一人もいない。
　みんな立っている。少しくらいなら座れるが、長くは座れません。」
「それならずっと立っていろ。」と、何時間でも立たされる始末。
　
　
「何だよ、おっさんは大きな会社の社長だそうじゃないか。
何もオレに素性を隠すことはないだろう。」留置場の主がまた話しかけてきます。
二月七日の検束からひと月あまり。
来る日も来る日も、聴取に明け暮れているうちに、
監房内では他の収監者は出て行ってしまい、今や田口氏が一番の古顔になってしまいました。
　
　
そうして毎日、同じ担当官と顔を合わせていると、次第に打ち解けてきて、
田口さん、岡さんなどと、世間話のひとつも話すようになるから不思議なものです。
　
　
「ときに何だな。お前さんも強情だが、オレの方でもこれだけの事件に関与したのだから、
　一人はどうしても刑務所に送らなくちゃならない。どうだ、お前行ってくれるか？」
「馬鹿を言わないで下さいよ、岡さん。刑務所に行ったら長くなるというし、
　これで帰してくださいよ。」
「いや、そうはいかん。三人のうちで伊藤さんか、鈴木さんか、お前さんか、
　誰か一人を刑務所に送らなくちゃならないんだ。
　伊藤さんは奥さんが毎日やってきて心配するし、鈴木さんは家に子どもが多い。
　早い話が、お前さんは責任者だ。
お前さんだけ会社へ帰って、鈴木亀次郎や伊藤春次を刑務所へ送ったら気の毒だろう？」
「その通りですよ。だから誰もやらないでくれ。」
　
　
しかし、結局どうすることも出来ずに、三月十五日、田口氏は市ヶ谷の刑務所に送られます。
そうと確定すれば、ここまでの拘留日数が通算されます。
その晩のうちに市ヶ谷にいけば、一日助かる、ということになり、
警視庁を出た田口と刑事は急いで市ヶ谷刑務所に向かいます。
　
　
「これは間に合わないから円タクを奮発しよう。」
小雪まじりの真夜中の東京を二人を乗せたタクシーが飛ばします。
こんなふうに刑務所へタクシーで乗りつけた収監者は、後にも先にも田口氏一人だったでしょう。
　</description>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Mon, 01 Oct 2007 11:06:55 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８６）　検束される市場関係者</title>
         <description>留置場はしらみや南京虫のたかる陰々滅々たるところで、
嫌疑者は早く出たくて、つい自白をしてしまうといいます。
春次氏は訊問を受けては、一週間程この不潔な場所に留められるということを
くりかえされました。
　
　
「相当な金を持っていったな。調べはついている。白状せんとためにならんぞ」
「何も持っていってません」
「バカヤロウ！　今時、女学校の入学を頼んでも１０円の商品券が当たり前だ。
　これほどのことを頼むのに手ぶらで行くわけはないだろう！
　いったいいくら持っていったんだ！！」
訊問の刑事は凄みをきかせて怒鳴りつけます。
気の弱い者なら、すくみ上がってしまうのですが、春次氏は淡々と答えました。
「村瀬局長は中央大学の商法の先生です。人格者で、もしも金を出しても受け取りません。
　辻さんも松田さんも大金持ちの御曹司。金なんかつっ返されますよ。」
「どうしても言わないのだな。ようし、また油を抜いてこい！」
それでまた留置場へと逆戻り。
　
　
毎日のように奥さんが差し入れにまいりますが、面会はさせてもらえません。
逆に「お前の亭主は大罪人だ」などと蔑んだ目つきをされたといいます。
警察に捕まるなどということは世間的には大変に不名誉なことでありました。
しかし、留置場生活が長くなりますと、その世界では次第に地位が向上していきます。
周囲のスリや泥棒、ばくち打ちたちから「旦那」といわれるようになります。
「何だか知らないが、旦那は偉い、立派だ。何されても自白しねえんだからな」
混房内での席も良くなり、食事のときの味噌汁もたっぷり実のあるものにありつけます。
そうして、いつのまにか春次氏は留置場の親分格に祭り上げられる始末。
　
　
そうしたある日、ふたたび訊問に呼び出されます。
「魚問屋会社の合併問題や営業停止のことを一番知っていたのは誰なんだ」
そうきかれて春次氏は正直に答えました。
「それは府知事の横山……」
そのとたん、取調べの刑事はびっくりして「ばかっ！」と叫んで火鉢を蹴り上げました。
春次氏は知らないことだったのですが、以前に田口氏とともに会社合併を主張した相手の
当時、府知事であった横山氏は、実はこのとき偶然にも警視総監になっていて、
今回の疑獄事件の取調べでは総司令だったのでございます。
春次氏のなにげない一言が、警視庁では大変な問題となり、
これはどうも釈放した方が良さそうだという結論に達しまして、
伊藤春次氏は四十八日ぶりに拘束を解かれ、家へ帰れることになりました。
　
　
「やれやれ、えらい目にあった。」
実に不愉快な日々を送り、ようやく家でくつろげる喜びにひたろうというとき、
春次氏は驚愕の事実を知らされます。
「えっ、田口さんが引っ張られた！？」
　
　
春次氏が釈放される九日前の昭和十二年二月七日朝、
田口達三氏の築地の自宅に二人の刑事が連行されました。
そのときの様子を田口氏は自伝『魚河岸盛衰記』の中で語っています。
　
　
見かけはやさしそうな人で、「何ですか」と尋ねると「一緒にいってもらいたい」という。
刑事が一人ならたいしたことはないが、二人で来るときは事によると帰れないかもしれない、
以前に引っ張られた人の話をきいていた。
しかし実際に賄賂を使って市会議員を買収したわけでもなし、私は気持ちを楽にしていた。
そこでもう一度年を押した。
「何の用ですか。」
「いや、たいしたことないですから。」
「泊められるようなことがありますかね。」
「ないだろうと思うけれども、泊められるつもりで仕度をしてもらいたい。」
　
　
それで覚悟を決めた田口氏は、仕度を整え、食事を取り、
朝七時に刑事とともに警視庁へと入りました。
その日の取調べは穏やかでしたが、夜になると泊められることが分りました。
「用があるならまた来るから帰してもらえないか」
「バカなことをいうな！」
　
　
それから過酷な取調べがはじまることは春次氏の場合と同じです。
警視庁に入った容疑者には収容番号というのがつけられるのですが、
田口氏が頂戴したのが三百番というキリの良い数字。
ここでは一番、五十番、百番、二百番、三百番という分りやすい番号は
いずれもみな重要な嫌疑者につけられることになっていたそうです。
監視人も普通の容疑者には特別に気をつけませんが、
キリ番容疑者には監視が四六時中つくことになっていました。
重要容疑者田口氏の取調べは真夜中に行なわれました。
昼間は寝かせておいて、夜中にたっぷりと叩く。
　
　
世間では魚河岸の大物拘束が大々的に報じられ、
すわっ疑獄事件とばかり騒がれます。
魚河岸は悪の伏魔殿だ、との日頃からのイメージに火がつき、
とんでもない大事件として巷間をかけめぐるのでした。
　</description>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Wed, 26 Sep 2007 10:41:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８５）　ふたたび疑獄事件に</title>
         <description>不買争議終結後、魚市場会社への魚問屋会社の吸収合併は速やかに行なわれ、
昭和11年11月2日、合併契約が結ばれて魚問屋会社の業務が引き継がれます。
　
　
単一制による卸売会社創立に伴って、問屋、および問屋兼仲買は消滅し、
日本橋魚河岸以来続いてきた旧来の売買は完全に姿を変えました。
魚問屋は卸会社（俗に大卸ともいう）に収容され、仲買は専業となります。
仲買業者は魚類一般を扱う者1376人、川魚のみ扱う者33人が正式に許可されています。
また、長い歴史を持つ魚市場組合も昭和10年12月をもって解散することとなり、
同23日、歌舞伎座で盛大な解散式が挙行されました。
組合解散によって、仲買人は仲買組合と少数の若手による仲買人協会を組織しますが、
後に合同し、現在の東京魚市場卸協同組合（東卸組合）をつくります。
　
　
魚河岸は長い陣痛の末、世界最大級の中央卸売市場として
ようやく産声をあげようとしていました。
しかし、ここに再び問題が持ち上がります。
魚市場会社に警視庁の捜査のメスが入ったのでございます。
　
　
一般的に見ても、世間を騒がせた単複問題の決着には何か納得できないものがありました。
それは単一派である魚市場会社の考えが市場行政当局の思惑と一致していて、
あまりに事が強引に進められたので、
魚市場会社の関係者が裏で不正な行為をはたらいたのではないか、
という疑念が生まれてきたからです。
たとえば商工省から、府、市、という具合に次々に単一方針となったのも、
連中は関係官僚の説得工作に動いて、かなりの賄賂をしたのじゃないか、とか
市会での決戦投票で、わずか一票差で単一派が勝利を収めたときも、
複数派の欠席が多かったのはおかしい、何か仕組んだに違いない、
などと噂されていました。
　
　
世間で騒がれるより以前に、警視庁ではかなりの疑念を抱いておりましたが、
そこへ市場関係者からの投書が殺到し、電話によるタレこみも次々に舞い込みます。
これは投書好き、チクリ好きの市場人にはよくあることで、
オレは何だかおもしろくねえ、となれば、すぐにあらぬ噂も立てるわけです。
ムラ社会特有のレクリエーションみたいなものなのですが、
警察関係にシャレは通じません。
市場内で利権取引の密通が行なわれたと判断し、
疑獄事件への発展の可能性ありと捜査を開始します。
するといろいろと出てまいります。
田口氏らが要人を訪問した日時などもハイヤーの伝票などから分ります。
これは相当大がかりな贈収賄事件に違いない。
一途に思い込んだ警視庁は、捜査二課挙げて、大がかりな取調べを始めます。
　
　
昭和11年も押しせまった12月28日朝、
田口達三氏の片腕である伊藤春次氏は二人の刑事に連行されます。
同日、魚市場会社取締役会計部長の鈴木亀次郎氏も拘束。
警視庁はこの二人の自白を皮切りに、会社幹部を一網打尽にしょっ引くハラでした。
　
　
取調べ室で春次氏は、商工省商務局への工作に対する尋問を受けます。
昭和9年11月初めの日曜日、春次氏は商工省村瀬商務局長から遊びに来いと、
自宅に呼ばれ、組合常用のハイヤーで出かけたことがありました。
そこには商政課長はじめ、商工省の事務官らもいて、市場の単複論に花が咲きます。
　
　
「その夕刻にお前、うな丼をご馳走になったろう。」
「いえ、あれは……うな重だったと思います。」
「何ィ、それはなお怪しいじゃないか。」
　
　
この日、春次氏は明け方近くまで話し込みました。
商工省では魚市場の業務規定を許可しなければならない時期で、
このときの春次氏との話合いによって、村瀬局長は
「単一を旨とする」という通牒を出したといいます。
そのときに賄賂を渡していたのではないか、というのが警視庁の見方でした。
　
　
二人の対談中に複数派である魚問屋会社の者が、たまたま局長に陳情に来て、
「問屋会社の者ですが」と玄関で名乗ったところ、
取次ぎの家政婦さんが何を思ったか「トウフ屋」と聞き違えてしまいました。
「豆腐なら間に合っています」と玄関払いを喰わされたこの男、
そのとき中に春次氏がいた事を知って、いぶかしく思い、
警察に投書をしたのが嫌疑のもととなりました。
　</description>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Fri, 21 Sep 2007 12:12:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８４）　不買争議が終わって</title>
         <description>世間を騒然とさせた魚河岸不買争議も集結しましたが、
終わってみると、この戦いによって誰が何を得たのか、
さっぱり分らないという曖昧な空気が残りました。
　
　
そもそも卸売人の単複問題に端を発した争議でありながら、
魚市場会社と魚問屋会社の合併問題はなおざりにされた感があります。
そして、商工省、東京府、市はこぞって権威の維持と面子にのみ固執し、
複数派であるはずの買出人側は、第一回争議での失敗を取り戻すことに
いつのまにか問題をすりかえてしまいました。
　
　
その結果、行政としては、当初の方針通りの単一卸売会社ということで、
よく分からないが権威は保った形になります
買出人側は、要求項目のうち限定的なセリ参加資格と奨励金を得て、
将来の利益を確保したかに見えますが、空手形かもしれないという不安定な状況。
最も甚大な被害を被ったのが魚問屋会社です。
五十日余にわたる不買運動参加で、業務停止の期間の給料、運動費の捻出に明け暮れて、
その損害はいまの金額でおよそ１０億円にものぼるといいます。
矢尽き刀折れ、ボロボロになった魚問屋会社は、
業務停止解除の日をもって、魚市場会社の合併を余儀なくされました。
　
　
昭和十一年の不買争議は、魚河岸最大の騒動でありながら、
単複論まで含めて、その真の歴史的意味を言い当てる者はいないかもしれません。
おそらくその当事者によってすら、まったく違う問題として語り出すことでしょう。
芥川龍之介の「藪の中」にも似て、いくつもの事実が重なり合い、
その姿は曖昧模糊として、つかみどころがありません。
しかし、漠然としていながらも、それは中央市場の本質的な議論であって、
築地市場のスタートにあたり、ぜひ解決すべき問題でありました。
ところが卸会社は一社であるべきか、複数がいいのか、といった単純なことですら、
70年を経た今も、結論は出ないままにあります。
　
　
中央市場が誰のものか、何のためにあるのか、
その命題はついに決着を見ることもなく、
先送りされた宿題は、現代になって築地移転問題にまで波及しているように思えます。
しかし、そのようなスタートを余儀なくされた築地市場ですが、
それもまた時代の流れに翻弄されたことにはちがいありません。
戦争ファシズムの影は市場関係者たちの背中を突いていました。
最早誰も止めることのできない暗い時代に、市場もまた否応なく入っていきます。
　</description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/09/post_285.html</link>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Wed, 19 Sep 2007 14:41:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>参考文献</title>
         <description><![CDATA[このブログに魚河岸の歴史続きものを載せてきて
ここまで参考文献を明らかにしていないことに気づきました。
　
　
あらためて、築地および日本橋魚河岸の歴史を綴った書籍をご紹介いたします。
興味ある方のご参考となればと思います。
　　
　
☆『日本橋魚市場沿革紀要』川井新之助著　明治２２年　日本橋魚会
　
　日本橋魚河岸の歴史研究の基礎史料。
　復刻版もでています。
　
　
☆『日本橋魚市場の歴史』岡本信男・木戸憲成著　昭和６０年　水産社
　
　『日本橋魚市場沿革紀要』上を徹底的に読み解いて魚河岸の実像を明らかにしている、
　最も信頼のおける研究書です。
　
　
☆『魚河岸百年』魚河岸百年編纂委員会　昭和４３年　日刊食料新聞社
　
　情緒豊かな文章で戦後までの魚河岸のできごとをダイナミックに描いた一冊。
　これを抜粋したものが『魚河岸の記』味道探求名著選集９　近藤正弥著　東京書房社　昭和53年
　
　
☆『東京都中央卸売市場史・上巻』昭和３３年　東京都
　
　いわゆる公式歴史書。特に近代以降の文書、データ類が充実しています。
　
　
☆『日本橋魚市場』森火山画集　昭和５３年　東京魚市場卸協同組合
　
　魚河岸草創期から築地移転までを描く画集。
　森画伯は大正期に政治漫画などで活躍し、晩年は郷土史に傾倒して魚河岸研究をすすめました。
　詩情豊かな画風は大変に魅力的であり、史料価値の高いものです。
　
　
☆『魚河岸盛衰記』田口達三著　昭和３７年　いさな書房
☆『魚市場人　伊藤春次小伝』岡本信男著　昭和６３年　いさな書房
☆『欧米魚市場覗記』小網源太郎著　大正１４年　私家版
☆『塩澤達三伝』塩澤達三伝刊行会著　昭和３７年　中小企業PRセンター
☆『さかな一代』安倍小治郎著　昭和４４年　銀鱗会
☆『日本橋魚河岸物語』青蛙選書６５　尾村幸三郎著　昭和５９年　青蛙房
☆『鮪屋繁盛記』寶井善次郎著　平成３年　主婦の友社
　
　戦前・戦後、市場で活躍された人びとの自叙伝は、当時の生々しい事件を記すもの。
　特に築地市場完成前後の逸話は当事者のみが知るものでしょう。
　
　
ほかにも、さまざまな書籍に題材を求めましたが、
詳しくは　<a href="http://www.sakanaya.co.jp/literature/index.html">こちら</a>　を参照してください。　
]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/09/post_284.html</link>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Fri, 07 Sep 2007 15:10:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８３）　第二回不買争議（その七）</title>
         <description>　
右翼の大物、梅津勘兵衛親分。
対するは魚河岸きっての理論派、伊藤春次氏。
不忍池畔の翠松園の一室で、卓をはさんで二人は対峙します。
　
　</description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/09/post_283.html</link>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Mon, 03 Sep 2007 08:02:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８２）　第二回不買争議（その六）</title>
         <description><![CDATA[<img alt="sanrin.jpg" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/sanrin.jpg" width="330" height="232" />
　
ところ変わって、こちらは浜町の待合でございます。
魚市場会社の幹部たちがここをアジトにしておりました。
単一派の首魁、田口達三理事長は一ヶ月を経ても進展しない争議の行方を
少々の苛立ちと共に見守っておりました。
もちろん黙って指をくわえていたわけではございません。
消費者への直売を行い断固たる態度で臨んでおります。
何となれば、田口氏の頭には一本通った市場流通の理念がございました。
　
　]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_282.html</link>
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         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Fri, 24 Aug 2007 11:57:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>金華楼のチャーハン</title>
         <description><![CDATA[<img alt="yakimeshi.jpg" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/yakimeshi.jpg" width="288" height="220" />
　
むかし足立区梅島の環七近くに金華楼という中華屋さんがあった。
カウンターだけの小さな店で、一節太郎ばりのダミ声のおじさんがやっていた。
小っちゃいギョウザが人気で、地元のお客がよく銭湯帰りに買って帰ってた。
でも僕はここのチャーハンこそは一度食べたら忘れられない、　えもいわれぬ美味しさだったと思う。

　
ある晩、他のお客のいないときに、
カウンター越しに、おじさんからその作り方を教えてもらった。
「どうやったらそんなふうにつくれるの？」「ああ、教えてやるよ」
みたいな感じで、気楽に教えてくれたけど、もちろんその通りやったって同じ味にはならなかった。
　
　
中華なべに油をはって、やや弱火で玉ねぎをゆっくりと炒める
とき玉子を流し込んで、強火、固まったらご飯を入れて振る
中華スープ、塩、こしょうで味を整え、鍋はだに醤油をふって香りづけ
最後に日本酒をふってテリを出す（これはおじさんはやっていなかったけど）
　
　
いろいろ工夫してかなり近づけたと思うけど99.9％、
あと0.1％は永遠に届きそうにない。
もういちど本物を食べられたら、と思うけど、それはもう適わないことだ。
　
　
たまに思い出したようにつくる金華楼チャーハンもどき。
食べるとちょっと元気になり、少しだけ淋しくなる。
なつかしいおじさんのダミ声を思い出す。
　



]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_280.html</link>
         <guid>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_280.html</guid>
         <category>虚言性駄文症の発作</category>
         <pubDate>Thu, 23 Aug 2007 12:13:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ぱらいそ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="hasu1.jpg" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/hasu1.jpg" width="383" height="268" />
　
池の真ん中で蓮に囲まれる。
毎年、この時期だけ中に入れる　とっておきの場所。
　
　
薄暮の水面に吸い込まれそうになると
あの世がすぐ近くにきている気がした。
　]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_279.html</link>
         <guid>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_279.html</guid>
         <category>虚言性駄文症の発作</category>
         <pubDate>Wed, 22 Aug 2007 11:39:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>築地魚河岸昔がたり（８１）　第二回不買争議（その五）</title>
         <description><![CDATA[　　　　<img alt="police.jpg" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/police.jpg" width="278" height="204" />
　　　　　　　まるで戒厳令下のような築地市場
　
　
ＫＹというのが流行っていまして、「空気読めない」人の略だそうですが、
それじゃ「空気読める人」のことは何て言うんですかね。
それはともかく、今から７０年前に世間を揺るがせた築地市場の不買争議、
単一派と複数派の対立は、国家権力の介入と世論の高まりにあおられ、
一気に燃え上がっておりました。
その最中、多くの人びとはＫＹ（読めない方）でした。
しかし、少なくともこの不買争議の仕掛人、買出人連盟の塩澤達三氏は
ＫＹ（読める方）だったのではないでしょうか。


このまま徒らに不買を続けていても結局は権力にやられてしまうのだ。
だが、この争議の目的は単複問題にあらず、真の狙いは……
塩澤氏はいよいよターゲットを絞っていました。
市場問題には誰よりもＫＹ（読める方）なかれの目は、
ＫＹ（読めない方）な人とは別のものを見ていたのです。
でも、それもやっぱり全体の流れからは逸脱しているわけで、
ＫＹ（読める方）すぎてかえってＫＹ（読めない方）ということだってあるわけです。
　]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_281.html</link>
         <guid>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_281.html</guid>
         <category>築地市場の歴史</category>
         <pubDate>Tue, 21 Aug 2007 09:02:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>残暑ですか</title>
         <description><![CDATA[　　　　<img alt="zansyo1.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/zansyo1.JPG" width="193" height="130" />
　　　　　　残署ですか　まだ署いですか
　　　夏グッズをひろげて　ゆく夏をおしみますか
　
　
　　　　<img alt="zansyo2.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/zansyo2.JPG" width="195" height="130" />
　　　　　　　　　おや？　人道雲ですか
　
　
　
　　　　<img alt="zansyo3.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/zansyo3.JPG" width="195" height="115" />
　　　　　　　　　　これは太変です
　　　　　　でもタ立が　なぜふりますか
　
　
　
　　　　<img alt="zansyo4.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/zansyo4.JPG" width="193" height="204" />
　　　　　　　　　なにをするのですか]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_278.html</link>
         <guid>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_278.html</guid>
         <category>ふくちゃん日記</category>
         <pubDate>Mon, 20 Aug 2007 08:15:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>スイカの行進２</title>
         <description><![CDATA[　　　　　　　　　　　　　<img alt="suika5.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/suika5.JPG" width="75" height="77" />
　　　　　　　　　こちらがあまいですか
　
　
　
　　　　　　　　<img alt="suika6.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/suika6.JPG" width="184" height="80" />
　　　　　それとも　こちらのほうが　あまいですか
　
　
　
　
　　　<img alt="suika7.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/suika7.JPG" width="268" height="80" />
　　　　　　　やっぱり　こちらが　おいしいですか
　
　
　
　
　　　<img alt="suika8.JPG" src="http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/images/pic/suika8.JPG" width="262" height="130" />
　]]></description>
         <link>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_277.html</link>
         <guid>http://www.uogashiyarou.co.jp/kajiki/2007/08/post_277.html</guid>
         <category>ふくちゃん日記</category>
         <pubDate>Fri, 10 Aug 2007 07:53:48 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
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